奥州市社会福祉協議会

目や耳のご不自由な方へ

平成30年度奥州市福祉作文入賞作品集

全 26ページ

表紙

第13回奥州市社会福祉大会特別表彰作品集

《平成30年度奥州市福祉作文選考委員会》
委員長小野寺 寛(水沢読書連絡会会長)
副委員長佐藤 栄喜(水沢読書連絡会副会長)
《応募状況及び入賞作品について》
応募総数:奥州市内小中学校より39編
入賞作品: 小学校の部 最優秀賞1点 優秀賞2点 優良賞3点 中学校の部 最優秀賞1点 優秀賞2点 優良賞3点
《編集・発行》
社会福祉法人奥州市社会福祉協議会
※ 可読性を考慮して漢数字の一部を算用数字に変換いたしました。

目次

あいさつ子どもたちの健やかな成長を願い

社会福祉法人奥州市社会福祉協議会 会長 岩井 憲男 1

小学校の部

最優秀賞ぼくの兄

水沢南小学校6年 松岡 司 3

優秀賞みんなに優しい奥州市

水沢小学校6年 田澤 真秀 5

優秀賞思いやりの心で、たくさんの笑顔を

藤里小学校6年 小澤 唯月 6

優良賞思いやりの心を忘れずに

水沢小学校6年 金澤 遥斗 8

優良賞おじいちゃんの幸せ

佐倉河小学校5年 岩淵 稀生 10

優良賞一緒に走り続ける二人

羽田小学校6年 今野 春果 11

中学校の部

最優秀賞豊かな社会を目指して

胆沢中学校2年 石母田 蓮 13

優秀賞「福祉」の心を伝えたい

水沢中学2年 小野寺 美優 15

優秀賞私達ができる地域の人達への恩返し

江刺第一中学校2年 菊池 愛紅 18

優良賞高齢社会の中で必要なこと

江刺第一中学校2年 菅原 柚珀 19

優良賞お金では買えない幸せ

江刺第一中学校2年 菊地 葵 22

優良賞思いやりの気持ちであふれるまちへ

前沢中学校2年 佐々木 杏 23

子どもたちの健やかな成長を願い

 今年で7年目を迎える奥州市福祉作文は、次世代を担う子どもたちが、福祉について理解と関心を深め、さらに知見を広げ、豊かな人間性を涵養していくことをねらいとしております。毎年、多くの児童・生徒から多くの応募をいただき、所期の目標を達成することができているものと存じており、心から感謝申し上げます。

 昨年度から、小学校の部は、5・6年生から、中学校の部は、1・2年生を対象に募集を行っております。今年度のテーマは、小学生、中学生とも共通テーマで、家庭・地域・学校等で学んだこと、日常生活やニュースなどで見聞きしたこと、職場体験や進路・仕事の選択など将来を検討するにあたって考えたことなどを述べていただき、小学生からは20作品、中学生からは19作品もの応募をいただいたところです。水沢読書連絡会の小野寺寛会長、佐藤栄喜副会長のご両名による審査会を経て、各々の区分から、それぞれ最優秀賞1編、優秀賞2編、優良賞3編の計12作品を入選に決定いたしました。

 本作品集は、入選された作品集を掲載いたしました。どの作文も、自らの体験や経験を通じて感じたことや考えたことが自分自身の言葉で丁寧に書かれています。他者との交流・つながりの大切さ、思いやりや感謝、将来への目標や希望が綴られており、どの作品にも温もりや慈愛の感じられるものが語られた作文でした。幸せづくりが福祉の原点であるということを思っていただけたと推察しております。

 この作品集が大勢の皆様の目に留まり、相手を思いやり、たすけあい、支えようとする気持ちが社会全体に広がっていくことを切に願います。結びに、作品に応募いただいた児童・生徒の皆さん、指導にあたられた先生方、ご家族の皆さま、ご多忙の中審査をしていただきましたお二方の委員に、深甚なる敬意と深い感謝を申し上げます。

平成30年10月19日 社会福祉法人奥州市社会福祉協議会 会長 岩井 憲男

小学校の部

最優秀賞ぼくの兄

水沢南小学校6年 松岡 司

 ぼくには、16歳年の離れた兄がいます。

 兄は、自閉症という障害をもっています。養護学校という障害をもっている人が通う学校に行って、卒業後は福祉施設に入所しました。今は月に一度、自宅に帰ってきます。兄は、人とコミュニケーションをとるのが苦手です。でも、マカトン法という手話よりも簡単なサインで自分の意志を伝えてきます。例えば、トイレに行きたい時は、胸のあたりで手をトントンします。食べ物が欲しい時は、両手を重ねて要求します。その時の兄のしぐさは、とてもかわいく見えます。その他に大きな音が苦手です。特に掃除機の音がきらいなようで、掃除機を見ただけで、部屋のすみに逃げてしまいます。寝ることも苦手です。睡眠時間は、3、4時間ですぐ目が覚めてしまいます。兄が好きなことは、音楽を聴くことです。お気に入りの曲は何度も聴いて、体を左右にゆらしたり、ジャンプしたりしています。その時の兄の表情はとても楽しそうで、見ているぼくまで笑顔になります。

 時々、兄が普通の人だったらなと考えてしまいます。ぼくと遊んだり、おしゃべりしたりできたら、すごく楽しく過ごせるのにと思います。兄が障害者でかわいそうだと思い、そのことを母に話すと、母は、

「私も最初はそう思った。でも、そう思うことは、今いるお兄ちゃんを否定することになる。ありのままを受け入れることが、本人も周りの人も楽になる。」

と言いました。よく分からないと言うと、

「もう少し大きくなったら分かると思うよ。お母さんも、そう思うまでに何年もかかったから。」

と笑顔で言いました。ぼくは、なぜ母が笑顔で答えたのか、本当にそう思える日が来るのか分かりませんでした。でも、ぼくが一つだけ理解していることは、兄は何一つ悪いことをしていないということです。

 兄の障害は、見た目では分かりにくいものです。でも、行動やしぐさを見れば、だれでも気付きます。兄のことを、時々変な目で見る人もいます。確かに兄は、人と違い目立ちます。でも、目立つことは悪いことではないと思います。それも、兄の個性だと思います。

 社会では、身体に障害をもった人への理解は進んでいますが、兄のような知的な障害については、まだ理解されていないことが多いと思います。人それぞれ顔が違うように、一人一人に個性があり、好きなことや苦手なことが違います。お互いが、相手のことを思いやり、受け入れ、認め合うことが大切だと思います。そして兄のような障害者がいることも、みんなが理解して、よりよい社会になればいいなと思います。

 兄の好きなことにドライブがあります。ぼくが大人になったら、車の免許をとって兄を助手席に乗せて、ドライブしたいと思います。

寸評

 家族に障害者がいらっしゃると言うことは本当に大変なことです。松岡さんのお母さんの様に、長い時間をかけてご自身の悩みや葛藤を克服され、あるがままの現実を受け入れておられる方々は世間に大勢いらっしゃいますよ。ご自分の意志でそういう子を産んだこともなく、そういう人に生まれた訳でもないけれど、絶えざる苦悩がつきまとう現実を乗り越えられて、ありのままを笑顔で受け入れておられる松岡さんのご両親は、なんと気高く、なんと美しく、なんと心の強いお二人ではありませんか。

 母なればこそ。父なればこそ。家族なればこそ。その悩みの克服を周囲に及ぼして、人間愛、人間尊重の輪を波紋の様に広げていこうではありませんか。松岡さん!!お兄さんが光の様に輝いて見える日がきっとやってきますよ。

優秀賞みんなに優しい奥州市

水沢南小学校6年 田澤 真秀

 私は、奥州市がお年寄りや障がいがある人に優しく、一人一人が笑顔でくらせるまちになってほしいです。

 私が考える、市でやってほしいサービスは、めん許証を返したお年寄りの交通手段を確保するものと、一人暮らしの人が安心して暮らせるようにするものです。

 お年寄りは、足、こしが悪いため、歩くのに負担がかかります。それで、お年寄りにとって車は手ばなせないものだと思います。ですが、お年寄りは車のそうさをまちがえたり、とっさの判断ができなくなっていることが多いと思います。

 なので、めん許証を返のうした人でも楽に買い物ができるように、まちなか以外にもお店が集まった場所にシャトルバスを運行してほしいです。さらに、60才以上の人や障がいがある人は、無料で乗れたら、みんな助かると思います。

 また、私のおばあちゃんは、弱いところがたくさんあり、いくつもの病院に通っています。その時、おばあちゃんは車がないので、自転車で病院に行きます。しかし、雨や風が強い日、逆に気温が高すぎる日は、タクシーを利用しています。タクシーはバスに比べ、家に来てもらい、そのまま病院に行けるので便利ですが、タクシー代がとても高いです。おばあちゃんは、それに困っています。

 だから、そのような人がタクシーを利用するときは、月に5千円程度のタクシー代を市が負担してほしいです。

 また、一人暮らしのお年寄りの安否を確にんするために、1日1回は水道を使ったか調べるシステムがほしいです。もうすでに通信機のついた電化製品はありますが、使わない日もあるかもしれないし、その電化製品を持っていない人もいると思うので1日1回は使う水道で安否を確にんすれば安心して生活できると思います。

 次に、障がいがある人ができるだけ不自由なく生活できるように、水沢駅、駅通りなどにある音が鳴る信号機や点字ブロック等を市全体に設置してほしいです。

 今は、ボランティアの人が障がいがある人を助ける活動を行っています。ですが、ふだん、仕事をしていたり、何かやることがあったりすると、ずっと障がい者に寄りそっているのは大変だと思います。

 そこで、障がい者にずっと寄りそっていられる、手助けできる職業を専門につくればいいと思います。

 市やボランティアにたよらず、自分でも、赤い羽根共同募金やもう導犬育成募金で、お年寄りが快適にくらせるように、目が不自由な人が少しでも充実した生活が送れるように手助けをしたり、困っている人を進んで助けたりしたいです。

 私は、学校で環境・福祉委員会に所属しています。委員会では、募金やボランティア活動の他に、みんなが笑顔で過ごせるように、「思いやりのある学校」を目指した活動をしています。

 6月に、「人けんの花」活動の花の種プレゼントがありました。花を育てていくことで思いやりの心や命を大切にする心を育むという活動です。みんなで協力してこのような「温かい心」を花といっしょに育てていきたいです。

 また、相手がいやな気持ちになる言葉は言わない、いじめは絶対にしない、させないように、声がけをしたいです。

 学校の笑顔が奥州市全体に広まればいいな、と思います。

寸評

 田澤さんから多くの提案がされておりました。みんなとても重要なものばかりです。その課題解決には、時間とお金と人々の善意が必要となります。そのために市や市民の協力と支援が欠かせません。

 奥州市の抱える福祉面でのもろもろの問題点を、若々しい感性でとらえて提案されたことはとてもすばらしいことです。これ等の提案が実現されるための方法や道筋が立てられて、一つ一つが確実に実現され、福祉の充実した暮らしよい奥州市になることを田澤さんと共に祈りたいと思います。

優秀賞思いやりの心で、たくさんの笑顔を

藤里小学校6年 小澤 唯月

 私の祖母は、お年寄りの介護をする仕事をしています。大切な仕事ですが、とても苦労する仕事だと感じています。理由はいくつかあります。

 1つ目は、肉体労働だと思うからです。体の不自由な人を、お風呂に入れてあげたり、移動させてあげたりするのにはとても力を使うと思うからです。

 2つ目は、精神的にも大変だと思うからです。こわがられて、パニックになるといけないので、できるだけ笑顔でいたり、ゆっくり優しい声で話したりしないといけません。体調が悪いときもそれをするのは大変だと思うけれど、そのおかげで、おじいさんやおばあさんが笑い返してくれる喜びもあるのかなぁと思います。また、おじいさん、おばあさんが、下着を汚してしまったり、せっかく仲良くなっても、次の日には忘れられてしまったりすることもあるそうです。だから、夜は起きていて、トイレに連れていってあげたり、ふだんから、できるだけコミュニケーションをとったりする必要があります。でも、そのおかげで、おじいさんやおばあさんが安心して暮らせるんだと思いました。

 3つ目は、人によって話の内容を変えなければいけないからです。祖母の働いている施設にも認知症の人がいるそうです。認知症になっても好きな話はあると思います。その話は、もちろん人によってちがうと思うので、その人に合った話をしなければならないと思います。でも、そのおかげでみんなが楽しめているのかなぁと思いました。

 祖母は、おじいさん、おばあさんに楽しんでもらうために、折り紙でいろいろな物を作って持って行って、みんなに作ってもらったり、お正月に書初めをしてもらったりしています。また、施設で野菜をつくっています。

 去年の秋には、施設の庭のような所で、焼き芋会が開かれ、祖母のさそいで、私も、姉と妹と一緒に参加しました。職員さんは、おじいさん、おばあさんに気を配りつつ、私たちにも、とても優しくして下さいました。私達は、焼く前の準備や、焼き上がった芋を配る作業をしました。その間、おじいさん、おばあさんは、私達に、

「えらいねぇ。」

「ありがとねぇ。」

と声をかけてくれて、うれしくなりました。焼き芋はとてもおいしく、みんなで楽しく過ごしました。おじいさん、おばあさんも、職員の方々も、ずっと笑顔でした。

 私は祖母に、

「介護って、楽しい。」

と聞いてみました。すると祖母は

「そうだね。大変だけど、やっぱり、ありがとうって言われると、うれしいよ。」

と笑いながら言いました。

 私は、祖母の話を聞いて、福祉に関わっている人は、その仕事に、やりがいとほこりをもっているんだと感じました。また、どんなときでも、思いやりの心をもち、やさしく、笑顔で接している職員の皆さんや祖母がすごいと思いました。私も、思いやりの心で接することを見習いたいし、みんなもそうすれば、地域のお年寄りも笑顔にできると思います。みんなが思いやりの心をもちお年寄りを気にかけ、笑顔でいるお年寄りが増え、みんなが笑顔で幸せになればいいと思います。

寸評

 お年寄りの介護施設で働く唯月さんの祖母の姿を見て、祖母の身体的、精神的な苦労を理解し、認知症の方々への話題の出し方の難しさに気付くようになりましたね。

 介護施設で働く唯月さんの祖母に仕事の生きがいについてたずねると、祖母は、お年寄りの人の感謝の言葉がはげみになると教えてくれましたね。そのことから、仕事に対する祖母のやりがいとほこりを感じ取れた唯月さんでした。祖母の仕事を通して、優しさと笑顔とおもいやりの心で人に接することの大切さを見習いたいと言う、唯月さんの心の眼が大きく見開かれたことがとっても嬉しくなりました。

優良賞思いやりの心を忘れずに

水沢小学校6年 金澤 遥斗

 ぼくは去年、おばあちゃんを交通事故で亡くしました。その時のことは、今でも忘れられません。昨日まで元気だったおばあちゃんが、突然亡くなるなんて夢にも思っていませんでした。家族や親せき、みんながとても悲しみました。その時、おじいちゃんが孫のぼくたちに言いました。

「いいか、ババは、交通事故の恐ろしさを体を張って教えてくれたんだよ。だから、お前たちも交通事故には気をつけるんだぞ。」

 おじいちゃんも悲しくてどうしようもないはずなのに、孫のぼくたちのことを気づかってくれたのです。

 おばあちゃんは生きていた時、ぼくに教えてくれたことがあります。

「人は、思いやりが大事なんだよ。人には優しく。困っている人がいたら、手を差しのべてあげるんだよ。」

 ぼくが5年生の時、学校の帰りに友達と歩いていて、あるおばあさんに会いました。そのおばあさんは、たくさんの荷物を持っていて、とても大変そうでした。なので、ぼくはこう話しかけました。

「おばあちゃん、大丈夫?その荷物、持つの手伝うよ。」

そうしたら、そのおばあさんは

「あらあら、ありがとう。助かるよ。」

と言いました。そしてぼくたちは、おばあさんの家まで、荷物を持っていってあげました。おばあさんは、とても喜んでいました。おばあさんの喜んでいる顔を見て、ぼくはとても温かい気持ちになりました。そして、人を思いやる気持ちをもって助け合うことは、生きていく中でとても大切なことなんだと心から思いました。

 また、ある日、母と妹と3人で歩いて、コンビニに行った帰り道、歩道に黄色いボコボコした線のような物があるのに気がつきました。

「これ、何のためにあるの?」

とぼくが聞くと、母が、

「目が見えない人のための物だよ。」

と教えてくれました。目の見えない人は、それを頼りにしないと道を歩くことができないなんて、とても大変なんだなと思いました。世の中には、耳が聞こえない人や体が不自由な人もたくさんいます。でも、ぼくたちのように健康な人は、もっとたくさんいます。だから、ぼくたちみんなで手を差しのべて、助け合いながら生活していくことがとても大事なんだと思います。

 おばあちゃんとのお別れの日、ぼくは、お別れの言葉でおばあちゃんに約束をしました。

「おばあちゃん、だれも交通事故にあわないように気をつけるからね。そして、おばあちゃんに教えてもらった『思いやりの心』を絶対に忘れないからね。」

優良賞おじいちゃんの幸せ

佐倉河小学校5年 岩淵 稀生

 ぼくのおじいちゃんは75才になります。おじいちゃんは米と野菜作りをがんばっています。がんばるというより、楽しみながら作業をしているように感じています。つまり農業は、おじいちゃんにとって生きがいになっていると思います。

 ぼくは、おじいちゃんに、いつまでも、元気で好きな農業を続けてほしいと思っていました。2学期に入ってからの授業で、私たちの身の回りの福祉について考えることになりました。福祉ってなんだろう。国語辞典で調べてみました。そこには、人々の幸せとありました。福祉とは、人が幸せになるために、行動していくことだと思いました。

 ぼくは、今までなんか立ぱなことをしなければならないことを福祉と考えすぎていたように思いました。毎日のくらしの中に、福祉の種がたくさんあるように思いました。ぼくは、おじいちゃんが幸せにくらしてほしいといつも思っています。おじいちゃんの幸せは、たぶん1番は、ぼくが元気でいること、2番目は、大好きな農作業ができることだと思います。

 そこでぼくは、おじいちゃんの幸せのために何かできないかなぁと考えました。そしておじいちゃんと一緒に農作業をすることが、いいように思いました。今年の5月、学校で田植えをしました。田植えを行ってみて、こしがいたいと話すおじいちゃんの気もちが分かりました。また野菜の水やりは、暑い日は気もちよさそうに思っていましたが、長いホースをひっぱるのは、けっこう重たく大変でした。農作業は、思った以上に体力を使います。だからこそ、ぼくは、おじいちゃんの片うでとなっていくことがおじいちゃんの幸せにつながると思ったのです。おじいちゃんの指示をきいて、力のあるぼくが動くというシステムでやっていきたいです。

 ぼくは、農作業をやっているおじいちゃんの姿を小さいころから毎日見ています。あたり前だけど、10年前とは、ちがってきています。歩く様子もゆっくりになってきました。ぼくが大好きな肩ぐるまも、できなくなってしまいました。でも変わらないのは、農作業や野菜作りへの姿勢です。日本の農業人口は60才以上が多くなっていると社会で習いました。年をとっても大好きな農業が続けられる方法も考えてみたいです。

 ぼくは、今回福祉作文に取り組んだことでおじいちゃんだけではなく、どの人も大好きなことが続けられる社会であってほしいなあと感じました。それは、とてもむずかしいことなのかもしれません。でも、こんな風になりたいなあという思いも大事だと思いました。そして、思いが行動になっていくことが幸せに近づいていくことなんだと思います。みんなが幸せになること、それが福祉。

 ぼくにとっての福祉は、おじいちゃんとの協力だと知った夏でした。

優良賞一緒に走り続ける二人

羽田小学校6年 今野 春果

 「桃果。一緒に走ろう。」

 私には、双子の妹がいます。妹は生まれつき両耳が聞こえません。手話で話したり、相手の口の動きを見て会話したりすることもありますが、普段は補聴器をしてコミュニケーションをとっています。

 私と妹の共通の特技は「短距離走」です。二人とも足が速いのが自慢です。私の友達にも姉妹がいる友達がいますが、特技や趣味が同じ姉妹はあまりいません。私達の特技が同じなのは特別な感じがします。

 今年6月に行われた「奥州市金ケ崎陸上記録会」では、6人中私が3位、妹が4位になりました。私達は通っている学校が違うので今まで一緒に走ることは練習の時だけでしかなかったのですが、今回二人で同じ記録会に出て、私も妹も走ることが本当に大好きなんだと改めて気づくことができました。

 でも、性格はまるっきり違います。妹は私よりも負けず嫌いです。そして私以上に前向きな性格です。そのことに気付いたのは、私が5年生の時に、妹が交流籍交流で私達の学校に来て一緒に勉強をした時のことです。私は前もって母から、

「桃果のお世話はしなくていいからね。」

と言われていました。正直皆とちゃんとやっていけるか心配でした。でも、私の心配をよそに妹は、皆と仲良く遊んだり、勉強したりしていました。それだけでなく、妹の担当の先生と一緒になって、私たちに手話を教えてくれました。最初、妹は少し恥ずかしがっていましたが、先生と一緒に進めるに連れ、笑顔で楽しそうに色々な手話を教えていました。その時の妹の堂々とした姿を見て、

(桃果も頑張っているんだなあ。)

と妹を誇りに思いました。そして、私も妹に負けずに頑張らなければと思いました。

 耳が聞こえないというハンデをもちながらも、明るく元気に生きる妹を見て、

(妹は、なんてこんなに強いんだろう。)

といつも感心しています。一度両耳を手でふさいで聞こえづらくしたことがあります。でも必ず何かの音は聞こえます。だから、耳が聞こえないということがどういうことなのか私にはよく分かりません。でも、急に聞こえなくなったらと思うと怖くなります。NHKの朝のドラマの主人公や私の担任の先生は片耳が聞こえないそうです。きっと片耳が聞こえないだけでも辛い気持ちになると思います。先生は、

「もう一方の耳が聞こえるから、大丈夫。」

と明るく話しています。でも、時々聞こえ辛そうにしている時があります。片耳でもそうだから、妹はもっと辛い時があるはずです。ある日、母が、

「きっと、春果がいてくれるから桃果も頑張れるんじゃないかな。」

と言ってくれました。母の言葉を聞いて、私は、二人とも大切な家族であり、支え合っているからこそお互い元気に生活できていることに気付くことができました。私も妹がいない生活は考えられません。

 私達姉妹は、性格は違うけれども、二人とも走ることが大好きです。私の方が少し足が速いですが、妹も負けてはいません。走ることではお互いがライバルです。そんな姉妹ですが、私は私らしく、妹は妹らしくそれぞれの良さを発揮していきたいと思います。そして辛いことがあった時には、お互い支え合いながら、これからも一緒に走り続けたいと思います。

中学校の部

最優秀賞豊かな社会を目指して

胆沢中学校2年 石母田 蓮

 障がいをもつ人。そう聞いてみなさんは、そして私は、どのように思うでしょうか。他の人とは少し違う特別な人。そう思う人も少なくはないでしょう。ある種の「差別」をしているかもしれません。障がいをもつ人といっても、体の不自由な人、知能に問題をもつ人など様々です。そんな方達が安心して暮らせるように「差別」をなくすことが必要です。

 そもそも「差別」とは何なのでしょうか。辞書には「差をつけて区別すること」と載っています。本当にそれだけなのでしょうか。人間は、みな平等のはずです。それなのになぜ人に差をつけ、区別してしまうのでしょう。外見が普通とは異なるから、コミュニケーションをとるのが面倒だから等々、いろいろあるかもしれません。けれど、障がいをもつ方々も私達健常者も、今この時間を共に過ごす仲間です。多少の違いはあろうとも仲間なのです。「障がいをもっているから。」ただ、それだけの理由でその人を否定したり、差別したりすることは間違っていると思います。

 障がいをもつ方は、思いのほか身近にいらっしゃって、スーパーやレストランなどで見かけることがあります。そんな時に、気になるのは周囲の人の目です。あたたかい目で見ている人や、自ら声をかける人、そんな思いやりのあふれる方がいます。しかし、ヒソヒソと話をする人、じろじろと見る人、そんな人がいるのも事実です。この「人より劣る、劣らない」という誰が決めたか分からない判断などを変える必要があると私は思います。

 私は、小さい頃から、障がいをもつ人に対して差別しないことはもちろん、やさしく接しようと心がけていました。しかし、このように考えること自体が差別ではないかと思うようになりました。同時に、自分をとても情けなく感じました。障がいをもつ方々は、ハンディキャップを背負っていながらも懸命に生きています。むしろ、そのハンディキャプを個性として生きる強い心をもった方がとても多いです。本当にすごいと思います。

 世界には、パラリンピックというものがあります。ハンデを背負った方々が本気で戦い競う場です。その姿を見ていると「障がい」の3文字はもう存在していないように思います。そんなものを感じさせない感動があります。しかし、それにも関わらず「パラリンピック」がオリンピックよりも知名度が低いのはなぜでしょうか。どちらのオリンピックも同じくらい素晴らしい価値があるものだと思います。「障がい」その3文字をみないで考えることは確かに難しいかもしれません。ですがもっとたくさんの人に知ってほしいです。障がいというハンデを抱えて、それでも与えられた条件の中で輝こうとしている人達をもっとたくさんの人に応援してもらいたいです。そして、感動してほしいです。私は、パラリンピックを見て、たくさんの勇気と感動をもらいました。これからもっとたくさんの障がいをもつ方に目を向けて、一人一人が輝ける場をつくってほしいです。

 私は、この作文を書くにあたって、たくさんのことに改めて気づかされました。生きていくということは決して一人だけでは成り立ちません。たくさんの人の支え、協力があってこそ成り立っています。それは、障がいがあろうとなかろうと同じことです。

 私は、障がいをもつ方の気持ちは分かりません。その悲しみも苦しみも痛みさえも同じように感じることはできません。きっと、私が想像できる何倍も何百倍も辛いと思います。障がいをもつ方は、健康な人よりも、生活する上で不便に思うこともたくさんあると思います。でもだからこそ、1日1日を大切に、そして幸せに生きていってほしいと思います。

 差別。これは、絶対にあってはならないものです。ですが、この世の中そうともいいきれないのが現状です。私が一人差別をなくそう。そう思っても、かわることはないかもしれません。私にできることは本当に限られていて、本当に小さな力です。それでも、私は見てみたいです。障がいをもつ方と笑い合ったり、励まし合ったりする、そんな普通の日常を。障がいをもつ方と手をとり合って支え合う、そんな地域社会を。

 人は、生まれながらにそれぞれ違う特別な個性をもっています。それをくもらせるのも輝かせるのもその人次第です。この世の中に生きている一人一人が、世界で一つだけのかけがえのない存在だということに気がついてほしいと願っています。

 私は、気づかせていくための行動、言葉かけをしていきたいです。

寸評

 パラリンピックを見て、障がいとうハンディを抱えながらも、与えられた条件の中で輝こうとしている人達に感動し、心からの声援を送っています。

 障がいをもつ人に優しく接しようと心がけて来たが、そう考えること自体が差別ではないかと自分を厳しく見つめ直しています。

 多少の違いはあろうとも、今この時間を共有していることで仲間ととらえたことはすばらしいことです。そうした考えを多くの人に広めていかれることを願っています。

優秀賞「福祉」の心を伝えたい

水沢中学校2年 小野寺 美優

 「福祉」という言葉はよく聞く。

 私は、ボランティアの団体にも入っていないし、募金も数えるくらいしかやっていないので、「福祉」には縁がないものだと思っていた。

 そんな私だけれど、去年の後半から、福祉委員になった。福祉委員会の大きな仕事は、コンテナ当番や花の水やりだ。さらに、年に数回、エコキャップ収集や募金などのボランティアが行われている。その中でも、私が特に、大切にしたいと思っているのが、エコキャップ収集だ。扱い方によってはゴミになるエコキャップが、何百個、何千個と集まれば、ワクチンに代わり、発展途上国の子どもの役に立てるからだ。

 私たちの学校の福祉委員会は、エコキャップ収集をする場合、参加率を100パーセントにすることを目標としている。そのため、私たち福祉委員は、その収集期間は毎日クラスに呼びかけ、名簿に持ってきた個数を記録している。だから、キャップ収集期間は、委員はとても忙しくなる。しかし、「キャップ持ってきたよ。」と知らせてくれるクラスメートがいると、嬉しくなるし、「ありがとう。今日もがんばるね。」という気持ちをもつことができる。でも、残念ながら、そんな人はごく一部だ。もちろん、参加率100パーセント達成に協力しようと、たくさん持ってきてくれる人もいる。

 その一方で、何度呼びかけても全く持ってこない人もいる。それに、人からキャップをもらって自分が持ってきたとごまかして報告する人もいる。「洗って持ってきてください」と呼びかけているのに、汚れがついたままでジュースのにおいが染みついたキャップを持ってくる人もいる。これは、私の学級だけのことではない。

 集まったエコキャップは、汚れたもの、エコキャップ以外のものを分別する。洗ってきてくれない人も多いので、分別しなければならないのだ。たいてい袋の中にキャップを入れて持ってくるのだが、その袋の中に金属が混ざっていたり、カビの付いたエコキャップだらけだったりと、まるでゴミ袋のまま持ってきたと思われるようなものも含まれている。

 反面、きれいに洗ったうえに、袋に入れた個数を書いてくれている場合もある。取り組みの姿勢に、人によってかなりの格差があるのだ。

 汚れたものは、後日水で洗う。冬場は、冷たい水で洗うのはつらい。分別作業をしながら、こんな簡単なボランティア活動なのにどうして参加しないのか?洗うなんて簡単な作業なのにどうして汚れたまま持ってくるのか?不思議に思う。分別作業がなかなか終わらないと、疑問はだんだん腹立ちに変わる。

 確かに、参加率100パーセントは達成させたい。しかし、汚れたままのキャップを持って来たり、誰かからもらったキャップでごまかしたりするのは、福祉委員会が目指す本当の活動ではないと思う。キャップ一個一個が価値ある1個であることをよく考えてほしい。

 「福祉」という言葉を国語辞典で調べてみると、「生活上の基本的な欲求が満たされ、身の安全をおびやかされることもない状態」と書いてあった。「身の安全を守るための活動」が「福祉活動」なのだ。

 災害、戦禍、病気、貧困などのために身の安全が脅かされている人々が、この世には何千万人といる。あるいは億を超えているかもしれない。エコキャップは、発展途上国の子どもの命を守ることに役立てられる。最近の日本でも、豪雨災害に遭った地域に災害ボランティアとして懸命に復旧作業をしている人々の様子がニュースに流れていた。「少しでも、困っている人のお役に立ちたい」と、被災者の暮らしを守るために、汗びっしょり、泥まみれの姿でインタビューに答える若者の姿に心が動かされた。

 「福祉」とは、協力する量よりも気持ちの方が大切だと思う。100パーセント達成が本来の目的ではなく、「病気の子どもの命を守ろう。そのためにキャップを持って来よう。」福祉委員の手を煩わせないように「洗ってきれいにしてから持って来よう。」こんな気持ちから協力するのであれば、エコキャップ一個一個には、意味が込められる。そして、参加率100パーセントの目標も、価値のある数値目標となる。

 私は、これからも福祉委員を続けていく。人を気遣うことが福祉活動への基盤になることをみんなに伝えていきたい。縁がないと思っていたボランティア活動にも参加して、もっともっと、人とのふれあいの大切さを学んでいきたい。そこで体験した思いを、福祉委員として、みんなに広げていこうと思う。

寸評

 エコキャップ収集活動に取り組んでみて、活動の難しさ、問題点に気づき、多くの発見をしています。

 最初は参加率100%を目標にしてきたが、エコキャップがワクチンにかわり、発展途上国の子供の命を守ることに役立つことを知り、「キャップ一個一個が価値ある1個になる」と認識したことはすばらしいことです。

 これからも、体験を通して学んだ一つひとつの活動のもつ意味をみんなに広げていかれることを期待しています。

優秀賞私達ができる地域の人達への恩返し

江刺第一中学校2年 菊池 愛紅

 私は、いつも学校に登校するときは自転車か車で行きます。その時、毎日横断歩道や車通りの多い所で私たちが安全に登校できるよう見守ってくれている方々がいます。実際、私も見守り隊の方々に誘導してもらって道路が渡りやすくなったと感じます。他にも私達の目に見えない所で私達が住んでいるこの地域をきれいにしたり、住みやすく整備したりしている方が数多くいらっしゃいます。おかげで私たちは、なに不自由なく、快適な日常生活がおくれています。ですが、私たちはしてもらっているばかりで地域の方々にお返しがきちんとできているでしょうか。そこで私は地域の方々に自分たちの力でどんな恩返しができるか考えてみました。

 まずは、見守り隊の方々に「おはようございます」や「ありがとうございます」など、あいさつやお礼をこまめに言ってみようと思います。見守り隊の方々には、毎日来てやってもらっていることにあたり前と思う心を持たず、常に感謝の気持ちを持ち続けることが大切だと思います。言葉と態度で表し続けるようにすれば、せめてものお返しになると思います。登下校中にすれ違った地域の方々にも、積極的に「おはようございます」や「こんにちは」、「さようなら」など、明るい心を返せれば、せめてもの恩返しになるかなと思いました。

 次は、長期休みや暇がある時に、恩返しがすごくできると思う地域清掃をやってみたいと思います。たとえば、公園や会館の草取りやゴミ拾いをしたら地域の方々も喜ぶと思うし、普段使う私たちも気持ち良く使えるので両方得すると思います。私が住んでいる家の近くの川東会館では普段、地域のご老人がゲートボールを楽しまれていることが多いので草がじゃまだと思います。除去することで、スポーツする時にも使いやすくなるはずです。近くの子どもたちが遊ぶ時にも、より安全に遊ぶことができると思います。

 ゴミ拾いは多い人数で本格的にやるだけでなく、たとえば、公園とかで飲食している時に、ゴミ箱に入ってないゴミを見つけたら、さりげなく拾って、近くのゴミ箱に捨ててあげるなど、遊びながらや、プライベートの時でもささいな気遣いをすることで、地域の人々が住みやすい環境をつくることができます。

 地域の人々への恩返しとは違いますが、親交を深める(関係をよくする)という意味でも、スーパーなどでそういう場面は多いと思うのですが、後ろの人のためにドアを支えることや、前から来る人のために、ドアを開けておいてあげるなどの、ささいな行動も関係をよくするために必要な行動だと思います。

 私たちが普段、地域の方々にしてもらっていることを、もう一度良く振り返り、私たちに何ができるかを考えるべきだと私は思います。奉仕活動という大げさなものととらえず、手軽にできる地域の方々への奉仕を自分で考え自主的にコツコツと活動する人が増えれば、支えてくれている地域の方々が住みやすい場所になると思います。

 私は、この作文で考えた事をいくつか実行してみました。すれ違った地域の方々にあいさつをする、帰り際に近くのゴミを拾う、祖父と一緒に犬の散歩がてらに草取りとゴミ拾いをする。簡単な事をしてみましたが、実行できないものも少しありました。

 次は、家の近くだけではなく普段お世話になっている公共施設の草取りや石拾いなどもしてみたいと思います。

寸評

 見守り隊による登校指導など地域の人達にしてもらっていることをもう一度振り返り、自分たちに出来る恩返しを実践していることはすばらしいことです。

 「おはようございます」「ありがとうございます」…感謝の気持ちを言葉と態度で表し、日常生活を快適にしています。

 奉仕活動をと大上段に構えず、草取り、ゴミ拾いなど手軽にできる活動に取り組み、住み良い地域をつくり上げられることを期待しています。

優良賞高齢社会の中で必要なこと

江刺第一中学校2年 菅原 柚珀

 今、日本では高齢化が進んでいます。そんな高齢社会を生きていくために必要なことがあります。それは、コミュニケーションをとることです。高齢社会の中で特に問題としてあげられるのが認知症患者。そんな認知症患者と関わっていくときにコミュニケーションは必須です。

 私が、コミュニケーションをとることが必要だと考える理由には、私のひいおばあちゃんが関係していきます。

 私が小さい頃から両親は共働きで、私の遊び相手はおばあちゃんとひいおばあちゃんの2人でした。おばあちゃんが用事で少しだけ家をあけたときは、ひいおばあちゃんが私の面倒をみてくれていました。それは私が保育園や小学校に入ってからも変わらず、編み物やお手玉などたくさんの遊びを教えてくれました。夏休みなどの長期の休みに入ると、ひいおばあちゃんは私や弟の宿題の音読をきいてくれたり、勉強を教えてくれたりしました。他にも、一緒にお散歩に行ったり虫とりをしたりなどたくさんのことをしました。その頃のひいおばあちゃんは、たくさん笑って、たくさんお話をしてとても元気でした。

 だけど、私や弟は学年が上がるにつれて新しく習い事を始めたり、6時間授業の日が増えたり、吹奏楽クラブに入ったりなどして帰りが遅くなって、休みの日も家にいる時間が短くなって、ひいおばあちゃんとゆっくり話をすることも減っていきました。その頃からひいおばあちゃんは、昔にケガをしたところがまた痛くなってきたのか、手押し車を押してのお散歩に行く回数もだんだんと減って行き、家にいることが増えてきました。そしてお話をすることもほとんどなくなっていました。

 それから少しした頃、ひいおばあちゃんは物忘れが多くなってきました。日付がわからなかったり、人の顔と名前が一致しなかったりなどしていきました。そして認知症と診断されました。診断されてすぐは、前とあまり変わらず生活していましたが、だんだんと家族の名前を忘れるようになっていきました。まだ、私の名前は忘れられていなかったので、本当は少しだけ安心していました。少しずつ私とお母さんをまちがえることが増えてきましたが、名前は覚えていてくれました。

 けれども私が小学6年生のとき、1番おきてほしくないことがおこりました。夕食を食べ終わった後、ひいおばあちゃんにいつものように「ひいちゃん、私は誰ですか。」ときくと、首を横にかしげられました。

 その後すぐに「わからない。」と小さな声で告げられました。名前を忘れられたのがあまりに突然すぎて、最初は信じることができませんでした。でもその後、何回か聞いていくうちに、本当なんだと認めなければならなくなっていきました。家族はみんな仕方ないというように言っていたけれど本当にショックでした。もっと覚えていてもらいたかった。時間がたつにつれて、その気持ちはどんどん大きくなっていきました。でもだんだんと名前は忘れられても、今までの思い出はきっと覚えていてくれるから、これからもっとひいおばあちゃんとの思い出をつくっていこう、と明るい方に考えていけるようになりました。それからはすこしでも一緒にいようとたくさん話しかけたり、おばあちゃんと一緒にお世話をしたりしました。話しかけても返事がないことがほとんどでしたが、たくさんの時間を一緒に過ごせたことは、とてもうれしかったです。

 そして昨年の秋、おばあちゃん一人の介護では大変になってきたため、ひいおばあちゃんは介護施設に入ることになりました。急に決まったのでさびしさがふくらみましたが、たまに会いに行ける距離だったので、さびしさも少しはやわらぎました。いろいろあって数回しかまだ会いに行けていませんが、少しずつ会いに行っているおばあちゃんから、冬にうれしい話を聞きました。おばあちゃんが帰ろうとしたらひいおばあちゃんが涙を流し始めたと。それを聞いたとき、どんなに長い時間会えていなくても、名前を忘れても、一緒にいたときの思い出だけは、絶対に忘れることはないのだと思えました。たくさん思い出を作ってよかったなと、とてもうれしくなりました。

 ずっとずっと記憶に残っていくものは思い出。思い出を作るために必要なのは人との関わり、つまりコミュニケーションをとること。もし誰かに自分のことを忘れられても思い出としてずっと残る。コミュニケーションをとればどんなささいなことでも思い出となります。それが認知症の人でも。だから私は、高齢社会の中でコミュニケーションをとることは、本当に大切なことだと思えるのです。

優良賞お金では買えない幸せ

江刺第一中学校2年 菊地 葵

 働いてもお金ももらえないのはつまらないし、正直言ってボランティアは面倒くさいと思っていた。福祉についてもあまり知らなかった。しかし、姉は小学校・中学校とボランティア委員会にも入っていたし、高校に入ってもボランティアの募集があれば、できる限り参加している。私は、何でそんなにできるんだろうと思っていた。

 姉の楽しそうな姿を見て私も興味がわいてきたので、福祉とは何か調べてみた。すると「『幸せ』や『豊かさ』を意味する言葉であり、全てに市民に最低限の幸福と社会的援助を提供すること」という意味だった。ボランティアの意味も調べてみると、「自分から進んで社会活動などに無償で参加する人」という意味だ。姉の参加した活動はたくさんあった。赤い羽根共同募金、キッズボランティア、地域活動ボランティア(ONELOVEタウン、甚句祭り、七夕祭りなど)だった。改めて姉はすごいなと感じた。

 ボランティアはいろいろなところで行われている。私たちが体験した東日本大震災の時、神奈川県にいる祖母と祖母の妹のおばが食糧や生活用品などいろいろなものをたくさん送ってくれてすごく助かった。祖母と祖母の妹は、私たち家族が困っているのではないかと思ってたくさんのものを届けてくれた。そのことに感謝の気持ちがわいてきた。

 最近の出来事では、西日本を記録的豪雨が襲い、甚大な被害をもたらした。その地域に、高校生をはじめ、たくさんの人々がボランティア活動に参加していたところをテレビで見た。現地の人達が大変な中でも笑顔や勇気を出している姿に、日本人は、困った人がいたらすぐ助ける優しさがあることが伝わってきた。この西日本豪雨で、嵐の松本潤さんと二宮和也さんが現地に行って、義援金を市長さんに渡していた。芸能人で忙しいのに現地に行って被災している子どもから高齢者までの人達をはげましたり、一緒に遊んであげたり、写真をとったり、サインをしたりしていて、思いやりの心があって本当にすごいなと感じた。被災した人たちが必要としているもの(食糧、水、住むところなど)を考えて提供するのもボランティアの一つの役割だと思った、そして私も東日本大震災を経験したからこそ相手の気持ちに寄り添う何かができればと思い、スーパーのレジのところにある募金箱に小銭を入れたりした。

 現地には行けないけど、私達の学校でもJRC委員会というボランティア活動をしている委員会がある。アルミ缶回収をして、集まったアルミ缶がお金になってそのお金は被災地に寄付される。現地に届いて困っている人の役に立てばいいなと思った。

 私は最初、ボランティアに興味がなくて、関わりもないと思っていたけれど、気づけばボランティアについて調べたことによって、自分でもできることや、やっていたことがあると分かった。姉はずっとたくさんのボランティアをやっていて社会に貢献し、人に笑顔を届けて、充実した日々を送っていたのではないかと思うと、すごく尊敬する。私もこれから、身近なところからできるボランティアがあれば率先して自分も取り組みたいと思ったし、それが自己満足で終わることなく、相手の気持ちに寄りそってボランティアや手助けをしていきたいと思った。お金では買えない楽しさや幸せがあるのだと感じた。

 姉の姿や報道を通して、いろいろなことを学べたし、自分の気持ちも自然と変化してもっともっと福祉やボランティアに関わりたいと思った。これからどんどん社会に貢献してこまっている人の役に立てるような人になっていきたい。

優良賞思いやりの気持ちであふれるまちへ

前沢中学校2年 佐々木 杏

 私たちの学校では、ボランティア活動として、前沢町内にある老人ホームに、暑中見舞いのうちわ作りや誕生日の方にバースデーカードを作る取り組みを行っています。

 この取り組みは、ボランティアシップタイム(=BST)といい、1年を通して定期的に行われています。

 そして今年8月、実際に老人ホームを訪れて、合唱を披露したり、握手会では一人一人と目を合わせて、一言ずつ会話をしました。とてもあたたかい時間をすごしました。お年寄りの方々の手は、少しひんやりしていました。私たちの手はとてもあたたかく、握手をするたびに、「あったかいね。」と微笑んでいました。その笑顔につられて、自然と私たちも、微笑みながら、会話ができました。手を握って離さず、「ありがとう。」と何度も言ってくれた人や静かに涙を流しながら、表情が変わってきた人などがいました。手の力が弱い人は、私たちが強く握ってあげました。このように、相手を思いやることで、自然と心が温められました。

 私は、テレビのニュースで、お年寄りの方々が、「刃物で刺された」というのを聞いたことがあります。テレビの映像では、たくさんの救急車が施設の周りにとまっているのが映し出されていました。その映像とニュースを見て、どうしてこのような犯罪を起こす人がいるのだろう…と思いました。

 この事件は、罪のないお年寄りが負傷したとても、胸が苦しめられるようなものでした。

 学校のボランティア行事で、お年寄りの方々と触れ合ったり、何かを作ってあげたりする機会が増えました。だから、ニュースで見たあのような事件を聞くと、ほんとうに胸がしめつけられます。犯人は、計画性はなかったと思うし、それなら、このような行動をおこさないように、本人の判断しだいで、どうにかできたはずです。

 人は、どんな人でも必ず、誰かに支えられながら生きています。だからこそ、おもいやりを持って接することが大切だと思います。そうすることで、とても心が温かくなり居心地のよいものになると思います。そういう気持ちや心、環境や空間が増えて行けば、誰がどこへ行っても安心して生活できる、とても素敵なまちになると思います。

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