奥州市社会福祉協議会

目や耳のご不自由な方へ

平成27年度奥州市福祉作文入賞作品集

-思いやりの心で たくさんの笑顔を-全 24ページ

表紙

第10回奥州市社会福祉大会特別表彰作品集

《平成27年度奥州市福祉作文選考委員会》
委員長小野寺 寛(水沢読書連絡会会長)
副委員長佐藤 栄喜(水沢読書連絡会副会長)
《応募状況及び入賞作品について》
応募総数:奥州市内小中学校39校中16校より29作品
入賞作品: 小学校の部 最優秀賞1点 優秀賞2点 優良賞2点 中学校の部 最優秀賞1点 優秀賞2点 優良賞3点
《編集・発行》
社会福祉法人奥州市社会福祉協議会

目次

あいさつ子ども達の福祉に寄せる思い

社会福祉法人奥州市社会福祉協議会 会長 岩井 憲男 1

小学校の部

最優秀賞笑顔を大切に

胆沢愛宕小学校6年 佐々木 瑞歩 2

優秀賞私と福祉

黒石小学校6年 菊地 亜依 3

優秀賞ひいおばあちゃんに学んだ「福祉」

藤里小学校6年 久米 紗奈 5

優良賞私をふり返らせる母の後ろ姿

広瀬小学校6年 阿部 早彩 6

優良賞お互いを思う気持ち

衣川小学校6年 菅原 香菜 7

中学校の部

最優秀賞私にとって「福祉」とは

前沢中学校2年 小野寺 優 9

優秀賞人と人とのつながり

水沢中学校2年 佐藤 康成 11

優秀賞福祉の心をもつ

東水沢中学校2年 田中 鈴華 13

優良賞エコキャップ回収運動を今一度考える

水沢中学校2年 山合 亘 15

優良賞福祉について

水沢南中学校2年 新田 涼音 17

優良賞私達の手で

江刺第一中学校2年 千田 彩加 18

子ども達の福祉に寄せる思い

社会福祉法人奥州市社会福祉協議会 会長 岩井 憲男

 福祉作文は、未来を担う児童生徒の皆さんに、福祉について理解と関心を深め、成長期の人間形成を豊かにするということを実感していただきたいという願いから取り組み、今年で四年目を迎えました。

 今年度も市内の小学校六年生の児童から十一作品、中学校二年生の生徒から十八作品、合計で二十九作品が寄せられました。応募いただいた児童生徒、各校のご協力に厚く御礼を申し上げます。

 ご応募いただいた作品は、どの作品も優れています。家庭や街でのできごと、福祉委員会等の学校での活動や、施設訪問などの実体験を通した内容が多く、説得力と深みのある作文であったと思います。

 そして、これまでの生活では考えられなかった新たな体験や気づきが綴られ、他者を思いやることの重要性が述べられております。きっと、父の姿、母からの一言、祖父母の存在など子ども達の気づきを引き出す家庭教育があり、そのことを受け止めてくれているのだろうと思いました。さらに、学校現場での人権尊重、助け合い、協力等の福祉教育そのものが作文に書き留められ、素晴らしいことだと感じました。

 今年の作文は、地域という視点が多く述べられました。安心のまちづくりを福祉の課題として捉え、自分は将来、どのような形で福祉に参加できるか思考したり、人と人とのつながりを大切にという思いや、自分自身のできることから始めたいという決意が語られ、社会に生きるしっかりとした児童生徒が育成されつつあるのは本当に心強いものがあります。

 文章を書くことは思考の錬磨と思慮深い精神を培っていく上でとても大事なことです。この作文への取り組みは、児童生徒にとっても、福祉について熟慮する機会となり、人権に関心を持つ土台として大変良い機会だったと思います。そして、子どもたちは将来、素晴らしい成長をしていくものと確信しております。

 今年、本会に新たに迎えた職員は、旧水沢市社会福祉協議会の時に取り組まれていたこの福祉作文で、最優秀に入選したそうです。これがきっかけとなって福祉の職を目指したとのこと。人材を育む良い取り組みだと再認識いたしました。

 おわりに、作文の選考に当たられた水沢読書連絡会の小野寺寛会長、佐藤栄喜副会長のご両名、担当いただきました小学校・中学校の先生方、各ご家庭のご指導とご協力に対し、心から敬意と感謝を申し上げます。

小学校の部

最優秀賞笑顔を大切に

胆沢愛宕小学校六年 佐々木 瑞歩

 私は、あまりお年寄りの方々に接する機会がありません。だから、お会いした時にどう接すれば良いのかわからなくて、緊張することがよくあります。でも、行事がある時に何度かお母さんの仕事場へ行っているうちに、そこにいるおじいさんやおばあさんが私のことを覚えてくれました。

 私のお母さんは、福祉関係の仕事をしています。胆沢区にある「やまゆり荘」という施設に勤めています。

 お母さんの仕事は、たくさんのおじいさんおばあさんを介護する、とても大変な仕事です。この前、お母さんの仕事を見学する機会がありました。お母さんは、笑顔で仕事をしていました。よく見ると、お母さんだけでなく、他の職員の方も、みんなにこにこしながら働いていました。

「どうしてこんなに大変な仕事なのに、みんな笑顔で仕事をしているの。」

とたずねると、お母さんが

「どんなに大変な仕事でも、笑顔だと乗り切れるし、おじいさんやおばあさんたちも笑顔で介護されると、家族がいなくても楽しく過ごせるでしょう。だから、みんな笑顔で仕事をしているんだよ。」

と教えてくれました。

 私は、お母さんのこの言葉を聞いて、私も辛い時や大変な時には笑顔でいよう、笑顔で乗り切ろう、と思いました。そして、福祉の仕事はお年寄りの方々の心に寄りそい、勇気づけたり元気づけたりする、とても素晴らしい仕事なんだ、ということが分かりました。笑顔で接してもらうと、自分も嬉しいし、元気がない時やさびしい時に元気をもらえます。おじいさんおばあさん達もきっと、職員の方の笑顔から元気や優しさをもらっているのだと感じました。

 最近では私が行くと、おじいさん、おばあさんは、

「ずい分大きくなったあ。」

「また顔を見せに来てね。」

などと声をかけてくれます。そんな時、私もとてもうれしくなります。みんな、子どもが大好きなんだなあと思います。私は、自分が行くことで、おじいさんやおばあさんが少しでも元気になったり、喜んでくれたりすることがうれしいです。

 お母さんは仕事から帰って来た時に、とても疲れた表情をしていることがあります。そんな時は、私がご飯を作ったり、掃除をしたりしています。仕事でたくさん働いて、利用者の方々に気持ちよく過ごしてもらおうと介護しているから気持ちが張りつめていて疲れが出るのでしょう。毎日一生懸命仕事をしているお母さんが、少しでも楽ができるように、私ができることは手伝って行たいです。

 将来どんな職業につくかまだ決めていませんが、お母さんのように、笑顔で、人の役に立つ仕事をしたいと思います。

寸評

 「やまゆり荘」の訪問がきっかけとなって、母の仕事を理解できるようになり、介護の仕事の尊さに目覚めて行きましたね。そればかりでなく、筆者とお年寄りの方々との交流から、老人の方々へ共感も広がり、母への愛情やいたわりの気持ちが深まっていくことも実感できましたね。笑顔は、無理に作って接するものではなく、誰の心にもかくれている思いやりと優しさとを汲み上げて、それを無理なく人々の心に注いで上げて、人も自分も幸せになれる宝箱であることに気付いたことは、素晴らしい発見でありましたよ。

優秀賞私と福祉

黒石小学校六年 菊地 亜依

 「全ての人が幸せになること。そのために自分の力を使うこと」これが、わたしが考える福祉です。でも、私には思い出すたびに、

「あと少しの勇気の力があったらな。」

と、後悔の気持ちがよみえる出来事があります。

 ある日、母と姉と三人でバスに乗りました。ドアが閉まり発車という時。ふと窓の外を見ると、一人のおばあさんが、バスのドアをノックしています。運転士さんは気づいていません。もしかするとバスに乗りたいのかな。運転士さんに声をかけた方がいいのかな。迷っているうちにバスは発車してしまい、バス停のおばあさんの姿は小くなっていきました。その頃のわたしは、友達に「遊ぼう。」とさえ、なかなか自分から言えないほど内気な性格でした。ですから、周囲の人のために自分の力を使うことなどとても考えられませんでした。

 そういう私を変える出来事がありました。黒石小学校では、毎年、全校児童で施設訪問を行っています。ステージにあがった瞬間、会場のおじいさん、おばあさん方の表情が明るくなったのを感じました。私達の合唱が終わると大きな拍手。その後の握手タイムの時には、大勢の方が涙を流して、

「ありがとね。とっても良かったよ。」

と声をかけてくださり、わたしまで泣きそうになりました。自分たちの歌がこんなに喜んでもらえるなんて・・・。こんなわたしでも、誰かのためにできる事があるかもしれないと思えてきました。それ以来、わたしは、家で近所に回覧板を届ける時に、必ず「こんにちは。」と自分から声をかけ、会話を交わすようにしました。

 変わり始めたわたしには、これまで見過ごしてきた事が意味を持って見えてきました。病院で、看護師さんが入院している患者さんをお世話している様子を見ました。患者さんのそばにしゃがみ込み、優しい表情の看護師さんを見ていたら、私も患者さんに喜んでもらえる看護師なりたいと思う気持ちが生まれました。また母に対する思いも変わりました。母は、訪問介護のヘルパーの仕事をしています。

「今日は、お風呂掃除をする時に間違えてシャワーを出してしまい、びしょぬれになったんだよね。けど、お風呂掃除はがんばったんだよ。」

と明るく話す母。母が、相手の方の喜びや生活の安心のお手伝いをする事を何よりも大切にしている事を知り、今では尊敬しています。

 また、姉からは、話し手の方のお話を受けとめながら聴く傾聴が大切だよと教わりました。私達はこれから沢山の人に出会います。その時は、看護師さんや母の姿を目標にして声をかけ、傾聴の心で接して行きたいです。この一歩を友人や地域へ広げて行こうと思います。

寸評

 亜依さんの内気な性格を変える出来事が起きましたね。筆者の心にまかれた種子(タネ)がふくらんで、自分を変えるきっかけを作り出してくれたのは、全校児童の施設訪問の時の感動的な場面でした。小さなきっかけでも、自分の心を花開かせてくれることになるのです。看護師さんの温かな思いやりも、ヘルパーである母から受けた感銘も、姉から教わった傾聴することのありがたさなどを味わうことができたのも、バス停から小さくなっていくおばあさんの姿が、不幸な人々へのかなしみやくやしさを、筆者の心に種子をまいて下さったおかげでした。それがやがて芽出しをして、今日の筆者に花開きました。まかれた種子を大切に育んでいくことをお話しできた筆者は輝いて見えますよ。

優秀賞ひいおばあちゃんに学んだ「福祉」

藤里小学校六年 久米 紗奈

 私のひいおじいちゃんは、私が小さいころに亡くなりました。ひいおじいちゃんは、歳をとるにつれて体が思うように動かなくなり、毎日ほとんど寝たきりの生活でした。

 そのお世話をしていたのは、ほとんどひいおばあちゃんでした。そのころは、うちで飼っている犬の数も多く、ただでさえ忙しいのに、とてもがんばっていました。朝早くからみんなのご飯を作り、その後に犬にご飯をあげます。その後洗濯をして、お昼ご飯を作って、犬にもあげて、それから畑の仕事をします。夜はご飯を作り、犬にもあげてから、ひいおじいちゃんを茶の間に連れて行って、みんなでご飯を食べて、食べ終わったらベッドに戻して服を着替えさせて・・・という毎日でした。

 その時、私は「ひいおばあちゃんは、とても忙しそうだな。大変だな。」と思いました。でも、ひいおばあちゃんは、嫌な顔一つ見せず、絶対に弱音を吐かず、みんなには常に笑顔でした。私は、ひいおばあちゃんに、

「大変じゃないの。大丈夫?」

と聞いてみました。すると、

「ひいおじいちゃんの世話を私がしなきゃ、誰がやるの。ひいおじいちゃんは、私がついてなきゃだめなんだ。」

と言っていました。私は、それを聞いたとき、「ひおばあちゃんは、とても強い人なんだな。」思いました。

 私は、少しでもひいおじいちゃんが笑顔になってほしくて、紙ふぶきを作って見せてあげました。すると、ひいおじいちゃんが笑って、それを見ていたひいおばあちゃんも笑ってくれました。とても嬉かったです。

 ひいおばあちゃんが、毎日お世話をしているのを見て、気付いたことが二つありました。一つ目は、ひいおじいちゃんの世話をしている時は、いつも以上に笑顔だったことです。どんなに大変でも、お世話をしている時は、笑顔を絶やしませんでした。二つ目は、ひいおじいちゃんの世話自体が、ひいおばあちゃんの楽しみ、喜びだったのではないかということです。一つ目で言った通り、笑顔を絶やさずにずっとそばにいました。たまに、まるで友達のように話していました。

 私は、「福祉」とは、お年寄りや体の不自由な人を家族や周りの人たちみんなで助け合っていくものだと思います。でも、それだけではないと思います。例えば、お年寄りや体の不自由な人、それを介護する家族が何か困っていたら、「社会福祉」という国や県や市町村などの大きな組織で援助してあげる、困らないようにしてあげることも大切だと思います。だから、私も、もし困っている人がいたら「どうしたんですか。」と声をかけてあげたり、家でも、ひいおばあちゃんを少しでも楽にしたりしてあげたいです。また、「どうしたらこの藤里のみんなが、楽しく安心して暮らせるのか。」などについても、みんなと一緒に考えてみたいです。そして、ひいおばあちゃんのように、優しく強い心を持った人になりたいです。

寸評

 紗奈さんは、ひいおじいちゃんの世話をするひいおばあちゃんを見て気づいたことが二つありましたね。その一つは笑顔を絶やさないこと。二つ目はひいおじいちゃんの世話自体が、ひいおばあちゃんの喜びだったということです。まるで、友達のように接していたという光景に、私の眼はうるうるさせられました。年老いた夫婦が、何十年もかけて育ててきた愛情は、ひからびることなく豊かに花開いていることに筆者は驚かされたでしょうね。ひいおばあちゃんたちの心の奥深い所にある清らかな珠玉を発見できたことは、筆者のこれからの人生にかけがえのないオアシスになるに違いありません。

優良賞私をふり返らせる母の後ろ姿

広瀬小学校六年 阿部 早彩

 よくある一日のこと。私はお母さんと一緒に夕飯を作ることになりました。材料に何を使うかでお母さんともめてしまい、私は頭にきて一緒に作るのをやめてしまいました。こんなもめごとは毎日のようにあります。例えば、テストの点数が百点ではない時は、

「しっかり勉強なさい。」

と言われたり、これから宿題をやろうとした時にタイミング悪くお母さんが来て、

「宿題しっかりやりなさいよ。だから百点とれないのよ。」

と言われたりします。だから、私はつい、

「うるさいな。」

と言い返してしまう時があります。心の中では、私のことを思って言ってくれているんだとわかっています。でも、素直になれず口ごたえをしてしまいます。

 そんな私の行動を毎日ふり返らせてくれるのはお母さんの後ろ姿です。私にはおじいちゃんとひっこおばあちゃんがいます。二人とも介護が必要で、いつも私のお母さんがお世話をしています。朝はおじいちゃん達より早く起きて着がえを用意するところから始まります。すべて終えると、お母さんはいつも遅刻ぎりぎりに家を出て仕事に行きます。大変なのは夜です。お父さんの手もかりなければまりません。お父さんはご飯を食べさせ、そしておふろにも入れます。夜中におじいちゃんがトイレに行くことがあるので、おじいちゃんが起きるたびにお母さんも起きて様子を見に行きます。時には、深夜の二時くらいに起きることもあるので、お母さんが疲れているのが私にもわかる時があります。これが毎日のように続きます。こんなに苦労しているお母さんを見て、「私も手伝えたら、少しは楽なんだろうな。」と思います。

 私は、介護のことは何も分からないので、ただ見ていることしかできません。だから、休日はなるべくおじいちゃんやひっこおばあちゃんと一緒に話をしたり、お母さんが出掛ける時には一緒にいて出掛けたりして、お母さんの疲れがたまらないようにします。私にできることはこんな小さなことくらいで、お母さんの役に立っているかはわかりません。でも、こんな毎日のお母さんの後ろ姿は、私の口ごたえや、よくない態度を反省させてくれる大切な役割をしてくれています。

 口ではひどいことを言ってしまうことがあるけれど、こんなに一生けん命な両親に私は感謝しています。できることなら、毎日毎日「ありがとう。」を笑顔で伝えられたらとも思っています。でも、これがなかなかできず、私の一日は終わるのです。

 私が今がんばらなければならないことは、お母さんの後ろ姿を反省するきっかけにするのではなく、「ありがとう。」を伝えるきっかけにすることだろ思っています。

優良賞お互いを思う気持ち

衣川小学校六年 菅原 香菜

 私の祖母は、病気です。祖母は、目が悪く、認知症です。言ったことをすぐ忘れてしまったり、同じことを何回も聞き返したりします。そんな祖母の世話をするのは、看護師でもある母です。いつでも優しく接する母は、すごいなあと思います。

 家を新しくすることになった時、工事をしている家の中は危険なので、祖母をグループホームにお願いすることになりました。祖母は、グループホームに行くことを嫌がりました。そんな時も母は、

「大丈夫。また家に帰って来られるよ。」

と何度も説得していました。祖母が、グループホームで生活するようになって何日か経ったある日、

「家に帰りたい。」

と電話がきました。けれど、工事は始まったばかりだったので、母と一緒に祖母に会いに行きました。祖母は、思っていたよりも元気そうで安心しました。最近学校であったことや家の様子などを話すと、とてもうれしそうに聞いてくれました。祖母の笑顔を見て、私たちもうれしい気持ちになりました。それからできるだけ時間を作って、祖母に会いに行くようにしました。

 そんなある日、グループホームから電話がきました。私は、また「家に帰りたい。」という電話かと思いました。けれども、今度は違いました。祖母が転んで骨折したというのです。母は、すぐに病院に行きました。祖母は、車いすで移動するようになりました。そして、認知症である祖母には、自分が骨折しているという自覚がないので、自分の力で立とうとして、とても危険でした。母は、

「骨折しているから、治らないと歩けないよ。」

と説明しました。なかなか分かってはくれませんでしたが、母はあきらめずに優しく繰り返し話していました。

 仕事と介護の両方を続け、いつも忙しそうな母を見ていて、とても大変だなあと思いました。だから私も、自分にできることは手伝いました。家の仕事をしたり、母や祖母を元気づけたり、自分なりに頑張りました。自分で立とうとしていた祖母は、祖母なりに迷惑をかけてはいけないと思って、自分でできることは自分でやりたかったのかもしれません。相手のことを思いやっていれば、きっと気持ちは伝わるのだなあと思いました。

 私は、一生懸命面倒くさがらずに世話をする母の姿から、互いに思いやることの大切さを学びました。私も母のようになりたいと思いました。祖母の骨折も治り、自分で歩けるようになりましたが、祖母は今も、グループホームで生活しています。新しい家に祖母が帰って来る日を家族で待っています。祖母が帰ってきたら、またたくさん話がしたいです。

中学校の部

最優秀賞私にとって「福祉」とは

前沢中学校二年 小野寺 優

 「福祉」という言葉を聞いて、何をイメージしますか。「福祉」は、「幸福」という意味を持っています。私は以前、「福祉」はボランティアのことだと思っていました。被害を受けた人や障害を持つ人、恵まれない子供たちや高齢者などを助けてあげる、そんなイメージでした。この考え方も間違っているわけではありません。しかし、最近生活していく中で、私の中のイメージが少し変わりました。

 テレビを見ていると、よく外国の恵まれない子どもたちを取り上げた特集が放送されています。世界中には、私が思っているより多くの恵まれない子どもがいます。食べる物がない、着る物がない、中には住むところがない子どもや親のいない子どもがいます。そんな生活、私には考えられません。しかし、日本も戦時中や終戦直後は似た環境だったことを知りました。そんな日本だからこそ、子どもたちの気持ちを理解し、今では募金活動などを盛んに行っています。そしてこのような活動を通して、世界とつながっているのだと思いました。人と人とがつながることで、自分も相手も幸せになる。これも一つの「福祉」なのではないでしょうか。自分とその相手が直接つながっているわけではなくても、様々な活動を通して、どこかで必ずつながっていくはずです。「福祉」は一方的に助けてあげることではなく、自分と相手の両方が幸せになることだと思うようになりました。

 「福祉」はいろいろな災害の時にも関わっています。私が体験したのは、二〇一一年三月一一日にあった東日本大震災です。あの地震により、大津波が発生し、東北地方の沿岸を襲いました。

 私の母の実家は岩手県久慈市にあります。家は海から少し離れた場所にあるため無事でした。震災から数ヶ月後、久慈市を訪れてみると、まだまだ、たくさんのがれきがありました。そんな中、少しでも復興に近づけようと懸命に働いている人たちの姿がありました。完全に元通りになることはないけれど、すこしずつ新しい街ができていくところを見て、私も自分にできることをやろうと思いました。

 まだ小学生だった私にできることは限られていましたが、積極的に募金するなど、自分にもできることをやるようになっていきました。少しでも、被災した人たちの役に立てるようにという思いで行動していました。その思いが被災した人たちに届くことが、自分の幸せになりました。

 また、今、日本で問題になっているのは高齢化社会です。そのため、老人介護施設も増えていますが、入所している高齢者の数に対して、そこで働く人の数が少ないという問題があります。実際、現場で働いている人たちの負担はとても大きいと思います。そこで大切になってくるのが「福祉」ではないでしょうか。

 私の学校では、老人ホームにいるお年寄りのみなさんに誕生カードや暑中見舞いうちわを作って、直接届ける活動を行っています。私も一年生のときに届けに行きました。その時のおじいさん、おばあさんの笑顔は今でも忘れられません。その経験から、私は今、福祉委員会に入っています。地域に、そして世界に少しでも幸せを届けたいと思います。必ずどこかでつながっていると信じて、これからも今の気持ちを忘れずに頑張りたいと思います。

 私の将来の夢は「福祉」に深く関わる仕事をすることです。今までの経験、そしてこれからの経験を通して、まちに、そして世界に「福祉」があふれ、少しでも幸せになれるような活動をしていきたいと思います。

 自分のやっていることが世界の幸福とつながるなんて、すごくすてきなことだと思いませんか。

寸評

 「『福祉』は、一方的に助けてあげることではなく、自分と相手の両方が幸せになること」と捉えたことはすばらしいことです。福祉は幸福という意味ももっているということも述べています。

 老人ホームにいるお年寄りに誕生カードや暑中見舞いうちわを届ける活動を通して、老人介護施設の数やそこで働く人達の負担にも目を向け、福祉の充実を提言しています。

 将来、人と人とのつながりを大切にし、すてきな福祉に関わる仕事をしたいいとう夢の実現を応援しています。

優秀賞人とのつながり

水沢中学校二年 佐藤 康成

 「福祉」とは何なのか。私は福祉活動の時、この疑問を持ったことが何度もある。何かをすることによって「福祉」というのだろうか。この活動がどこにつながっているのだろうか。この疑問について考えようとした時に、まず頭にうかんでくる人物がいる。

 祖父の兄妹に一人暮らしをしている人がいて、私は「おばちゃん」と呼んでいる。おばちゃんは、私が生まれる前から何十年も一人暮らしをしていた。しかし、最近になって物忘れが激しくなったりし、介護センターへ行くことになった。私はこのおばちゃんの移動に付きそったり、様々な手伝いをしたりすることもある。

 夏休みにおばちゃんにあいさつに行った。おばちゃんは外に出て他の人と話したりせず、一人で部屋にこもっていた。寂しそうにしていたおばちゃんに私は声をかけた。おばちゃんは私のことを覚えていた。話し相手を見つけたからか、とても喜んでくれた。長く話している内に会話がはずみ出し、自分の祖母のように話すことが出来るようになった。だが、話していくにつれ、おばちゃんは寂しそうに相槌を打つだけになっていた。思わず心配になって、どうしたのか聞いてみると、おばちゃんは、

「なんで私は、こんな所にいなきゃダメなんだろうね。」

と言った。驚いた。正直、返す言葉もなかった。同じようなことを聞いたことが、初めてだったわけではない。しかし、いつも以上に重い感じだった。さっきまで笑って楽しそうに話していたのに。一緒に話すことができて「うれしい」と言ってくれていたのに。そして、一人暮らしではなく、快適な生活に見えていたのに。けれど本当は、自分の家に帰りたい、前と同じ生活に戻りたいと思っているのではないか。そう考えてしまった。自分の家に戻れないことが、介護センターにいる人たちの心の重荷になっているのかもしれない。

 福祉とは、全ての人々が平等に受けられるものである。私たちのちょっとした思いやりが一人ひとりの幸せにつながっていくのだろう。だとすれば、介護センターに入所している人たちの幸せとは何だろうか。前と同じ生活に戻ることなのだろうか。センターでの生活が一見恵まれた環境に見えたとしても、本当は違う。悲しみと寂しさが心の中にある。しかし、だからといって、前の生活に戻してしまえば、自分一人では生活できないため、周りの人の手を借りるしかない。一人で生活することが不可能なお年寄りを行きたくもない場所へ連れて行くことは、誰にとっての幸せなのだろうか。

 現代の日本は高齢化が進んでいる。ニュースでも一人暮らしのお年寄りなどの話題を耳にすることがある。日本にとってかなり深刻な問題であることは間違いない。だからこそ、「福祉」についてもっと考えて行く必要があるのではないか。家族がいて、しっかり介護してもらえる人。家族がいても、介護してもらえない人。家族がいない人。様々なお年寄りがいる。どんな状況のお年寄りでも、心配してくれる、助けてくれる人がいて、その一人ひとりと「つながる」ことによって、心の重荷を軽くしていけるのではないかと私は思う。もちろん経済的な援助や保障は必要だ。

 しかし、私が最も必要だと考えているのは、人と人とのつながりである。人と人と共に生きて、周りの人とつながっていくことで、幸せを感じるのだ。これが本当の「福祉」ではないだろうか。介護センターのお年寄りたちとも、もっともっと周りが関わって行く、寄りそっていくべきだ私は思う。

 これまで、様々な福祉活動に参加してきた。治療を受けられない子供達にワクチンを提供するためのエコキャップ収集。大会運営のボランティア。活動のジャンルも様々だ。これらの活動を通して、福祉活動は、全て「思いやり」の気持ちがつながっていくことによって成功するものだと学んだ。

 私は、将来の事について、まだ見通しを持ててはいない。しかし、人の役に立ち、小さなことでも人が生きるための手助けになるような仕事に就きたいと思っている。一人で全員を幸せにする方法なんて存在しない。けれども、小さなことから、人と人とが少しでもつながっていくことで、幸せが生まれていくのだと思う。一人ひとりが幸せになる社会をつくるために、まず、私自身が人と人とのつながりを大切にする人間になるよう努力したい。いつか、人の役に立つような人間になると心に誓った。そして、この決意を今度はあの「おばちゃん」に話してみたいと思う。

寸評

 一人暮らしをしている「おばさん」への手伝いを通して、介護支援センターに入所している人たちの幸せとは何かを問い直しています。高齢化が進む日本にとって、深刻な問題であるとも。

 人は、周りの人とつながり、共に生きているとき幸せを感じる。経済的な援助や保障も必要であるが、一人暮らしの寂しさを癒してやる「思いやり」、「やさしさ」が何よりも大切であると述べています。

 将来、小さなことでも、人が生きるための手助けになるような仕事に就きたいとの決意を実現されることを期待しています。

優秀賞福祉の心をもつ

東水沢中学校二年 田中 鈴華

 福祉。私がこの言葉に深く興味をもったのは、四年前の東日本大震災の時でした。当時、被災地での救助活動や様々な支援、復興に、日本だけでなく世界中の人たちが注目し、関心をもち、行動して下さっていたことが、今も私の胸に焼き付いてます。

 しかし福祉とは、何か大きな行動だけを指すものではありません。私の学校でも取り組んでいる募金活動やベルマーク回収。またデイサービスなどのお年寄りやその家族への支援。みんなが安心して気持ちよく暮らすための施設の整備。公園などの美化。そういうもの全てが福祉であり、私は、人のために、あるいは環境のために良いことをする行いを福祉というのだと思います。

 では、私たちが住むこの奥州市が、老若男女、どんな人たちにも生活しやすい福祉の町になるにはどうしたらいいのでしょうか。みんなが利用できる大きな施設を作ることは私にはできません。しかし、私にもできることがあります。それは、私たち自身が、人や町に思いやりをもち、誰もが住みやすい町にしようという意識をもつことです。また、ボランティア活動に積極的に参加、協力して、そのなかで、コミュニケーションを活発にすることです。

 福祉の原点は、「声を聞く」ことだと私は思います。困っている人がいたら、その人がどうして困っているのか、どうしてほしいのかということを聞き、解決する。身近な物が壊れていたり古くなっていたりしたときには、自分の心の耳でその物の声を聞く。その思いが大切なのではないでしょうか。人に対して物に対しても、静かに耳を傾け、それに応えることを意識するのです。

 私は学校内や地域で、けがをして歩きづらそうにしている人や、道がわからずに困っている人をみかけたことがあります。このような人をできるだけ減らすためには、町の中をもっとバリアフリーにしていかなければならないと思います。しかし、もしその時その場に居合わせた私が、困っている人に気付き、その声を聞いて行動することができたら、福祉は広がっていくのではないでしょうか。

 そのためにも、大人だけでなく、中高生はもちろん小さな子どもにも、福祉に対して関心をもってもらう……「福祉の心」を育てる必要があります。

 それは難しいことのように感じるかもしれませんが、私がこのような考えをもつようになったきっかけの一つは、とても単純なことでした。それは部屋を片付けていたときのことです。幼いときによく着ていた服、遊んでいたおもちゃ。私はそれらを見て、ふと気がつきました。どれももう全然使っていなくてほこりをかぶっているものばかり。自分には必要のないものなっていたのです。

 (使わないなら捨てよう……)そう思ったのですが、偶然、生活品や生きるために必要な安全な食料や水もなく、年々人口が増えているアフリカに、日本から中古ラジオを送ったことが紹介されたテレビ番組を見た時、私のなかに変化が起こりました。それは、物に対する意識の変化と、今まで知らなかった世界の人たちの声を聞き、現状を知った驚きです。私は自分が使わなくなったものを見て、ただ捨てるよりは、必要として下さる人たちに使ってもらう方がいいのかもしれないと思いました。誰かのために行動しなければならない、自分にできる小さな何かを実行しよう、という思いこそが福祉活動、すなわち「福祉の心」なのではないでしょうか。

 私たちの住むこの奥州市が、福祉の町、住みやすい町になるためにはもっと視野を広げ、悩んでいる人や困っている人がどれくらいいるのか、それはどんなことかということをみんなで理解することが必要だと思います。誰もが「福祉の心」をもち、たくさんの「声」を聞くこと、そして大きな目的に向かう小さな行動を積み重ねること、それが支え合い、そして救うことなのだと思います。

 私も、今はまだできることは少ないけれど「福祉の心」をもち、市内だけでなく、日本中、世界ともつながりをもてるような大きな目的に向かって、困っている人や苦しんでいる人をなくすことができるように行動していきたいです。

寸評

 募金やベルマーク回収、お年寄りへの支援等の活動を通して、福祉とは大きな行動だけを指すものではなく、身近な行いすべてを含んでいると捉えています。

 誰もが住みやすい福祉の町にするために、福祉の原点である困っている人の声を聞き、一つひとつ解決して行くことを提案しています。

 「福祉の心」を持ち、自分にできる小さな行動を積み重ね、市内だけでなく、日本中ともつながりを持つような目標に向かって行動されることを期待しています。

優良賞エコキャップ回収活動を今一度考える

水沢中学校二年 山合 亘

 僕の通う水沢中学校には、校内の福祉活動を中心となって進める役割の福祉委員会があり、僕はその福祉委員会に所属している。具体的な取り組みとして、エコキャップなどの再利用可能な資源を回収している。福祉委員会は、回収への参加率を目標として定め、目標達成のために協力を呼びかける。これを月に数回繰り返す。エコキャップ収集の活動は面白くて、達成できた時は大きな満足感が得られる上に、実際に社会の役に立っていることがその喜びをさらに大きくしている。

 一方で、残念なことに、ここ数年エコキャップ回収活動について、社会的に様々な問題が起こっている。例えば、回収したエコキャップ業者に引き渡すための輸送にかかるコストや、リサイクルするための洗浄や分別にかかるコストの問題。そして一部の回収業者による収益の使い道の問題などである。

 インターネットや新聞などで調べてみると、回収活動の問題点のみが強調されて取り上げられ、そのような意見を参考に活動を中止したり、活動開始をあきらめたりする団体が多いようだ。効率が悪いからエコキャップは集めるだけ無駄という意見もあるようだが、果たしてそんなに簡単な話なのだろうか。

 例えば、シールをはがして集めたり、色や材質で分別回収をすれば問題は解決に近づくはずである。しかし、そちらに話しが進む気配がない。もし、エコキャップ収集が全くの無駄だとして、かわりに助けを求めている国に現金を送った方が良いとなったら、エコキャップの代わりに現金は集まるのだろうか。また、キャップを集めるためにジュースを買うことがおかしいという意見もあるが、エコキャップだけが欲しくて中身は飲まずに捨てているとは思えない。それに、ジュースを買ったつもりでジュース代を募金すればいいと言われても、僕にはそこまではできない。ジュースを飲んだ後にゴミとなるキャップを集めるという行為に、この活動のおもしろさがあるはずだ。エコキャップを回収して得た利益の一部をワクチン代として寄付すると言って集めておきながら、そうしない業者もあるという。それは許されない問題だ。問題の本質はこういう所にあり、解決が必要なのにエコキャップ運動自体を無意味なものとして決めつけるのはよくない。今の回収システムに頼らず、独自に収益を上げ、福祉活動としている人もいるようだ。僕はこういう人に憧れる。

 実際、全校から回収されたエコキャップが集まった様子は、迫力がある。「困っている誰かの助けになれば」と一人一人が持ち寄った小さなかけらがあんなにずっしりと重さを感じさせるとは…。集められたエコキャップは百パーセント善意の塊だ。あの重さは、一人一人の善意の重さなのだ。集める側としては、みんなが持ち寄ってくれた善意を福祉活動にしっかりと生かさなければならない責任がある。それは、とてつもなく重い。だから、この活動に問題があるなら僕は解決していきたい。

 シールをはがしたり、色や材質で分別する必要があるなら学校で呼びかけたり集め方を工夫してみたい。もしかしたらこの先、エコキャップが分別しなくても良いように材質が統一されるかもしれないし、材質が混ざったままでも役に立つ素材にリサイクルできるかもしれない。再利用の可能性を探ることなく回収をあきらめてしまうのはもったいない。エコキャップ回収活動の問題の本質は、こういうことを一つ一つ解決して行くことにあると思う。

 いずれ、現時点で割に合わないからといってあきらめてしまうのは早すぎる。課題については必ず解決策が見つかると信じているし、他にもいろいろと考えていきたい。

 僕が東日本大震災を経験したのは小学校四年生のときだ。突然大きな揺れが来て、電気が途絶え、テレビも映らず、何が起きたのかしばらく分からなくて心の底から怯えた。あのときの恐怖は今でも忘れない。しかし、それと同時に思い出すのは県外、国外からの温かい励ましや支援だ。そうした励ましがあったからここまでこれたのだと思う。恐怖や不安を乗り越えて前に進もうとする勇気をくれるのはエコキャップ回収活動のような一つ一つは小さくてもそれがたくさん集まり、大きな形となっている善意だということを、身をもって知った。自分の行いで困っている人が助かる。そうすることで自分も豊かな気持ちになることができる。目には見えないこの気持ちやり取りが、福祉なのだと思う。

 だから、僕達もあきらめずに少しでも力になることを信じてエコキャップ収集をしたい。この活動の問題点の解決策を見つけていきたい。将来的にはもっと効率が良くなるだろう。そうすれば、参加する人も増えてもっと大きな福祉の輪ができると思う。僕は福祉委員としてそのような活動を進めていることに誇りを感じている。

優良賞福祉について

水沢南中学校二年 新田 涼音

 「福祉」は「幸福」という意味があり、私を含め、人は一人では生きて行くことはできません。そこで、私が体験・経験した福祉活動は、たくさんあり、その中から五つを紹介します。

 一つ目は、小学校四年生の時にキャップハンディ体験をしたことです。この時に、車いす体験やアイマスクで目を隠し、白杖を使って歩く体験と、自分の名前を手話でやるのをやりました。これらの体験を実際にやってみて、障がいを持ちながら生活している人の感覚や状態、苦労や大変さがとても分かり、手話をやってみた時は、ゆっくりではないと自分の名前をやることができませんでした。私は、この体験を通して、障がいを持ちながらも生活している人の気持ちが分かって勉強になったと思いました。

 二つ目は、募金活動をしたことです。東日本大震災の時や、ネパール大地震、赤い羽根共同募金、ユニセフ募金など様々な募金活動に参加しました。家族全員から集めたお金で募金して、このお金で、日本や世界各国の人々の役にたって、一人でも多くの命を救えたら、とても良いことだなと思いました。そして、これから募金活動があれば、進んでやりたいと思いました。

 三つ目は、福祉委員会のボランティア活動を進んでやったことです。私は福祉委員なので、アルミ缶回収や募金活動など、色々な活動を進んでやっていました。アルミ缶回収や募金活動では、学級だけではなく家族にも呼びかけをして、アルミ缶やお金を集めました。みんなから集めたアルミ缶とお金は、お金にかえられて、お金が必要な所に寄付されることを、この活動を通して知ることができて良かったです。だから、またアルミ缶回収や募金活動などがあった時は、進んでアルミ缶やお金を持ってきて、役にたちたいなと思いました。

 四つ目は、校外班活動などのボランティア活動をしたことです。地域のゴミ拾いや草取りなど様々な活動をしました。ゴミ拾いや草取りは、とても生活の環境が良くなると思うし、地域の人の役にたてるので良いと思いました。そして、この活動を通して、進んでボランティア活動をしていきたいなと思ったし、地域の役にたって、よりよい生活が送れるようにゴミを見つけたら、拾って環境を良くしていきたいなと思いました。

 五つ目は、幼稚園の時に、敬老会でおじいさんとおばあさん達の前で、たいこや鳴子を使って、たたいたり、鳴らして踊ったりしたことです。おじいさん、おばあさんが元気で健康になり、笑顔で生活していけるように練習をしていました。敬老会でおじいさん、おばあさんたちを元気・笑顔にさせることができるので、とても幸せな気持ちになりました。これからもし、高齢の方と接するときは、敬う気持ちを持って、元気な声で挨拶をし、困っていたら手を差し伸べてあげるなどをしていきたいなと思いました。

 他にも、障がいを持っている人や弱者の人がこの世の中で、「楽しく」、「一緒」に生活していくためには、たくさんの壁を登られなければならないと思います。

 まず、一人一人が心を広くしないといけないと思います。今の世の中には、様々な問題があり、誰にも悩みを言えず抱えている人などもいます。そういった人に対して、優しく接することができる力があれば、障がいを持っている人、弱者の人も、少しは悩みを打ちあけやすくなるかもしれないと思いました。

 次に、障がいを持っている人や弱者の人達が過ごしやすい環境にしてあげるなど生活しやすくしないといけないと思います。今は、昔に比べ、障がいを持った人達は過ごしやすいと思います。けれど、まだ、過ごしにくく不便なこともたくさんあると思うので、これからは、そういった人たちがより過ごしやすくなるように考えながら、行動に移していきたいと思います。

 私は、これからの生活で、困っている人などがいたら、できるだけ手伝ってあげ、その人の役に立ちたいと思います。そして、進んでボランティア活動などをしたいと思っています。

優良賞私達の手で

江刺第一中学校二年 千田 彩加

 私は今まで高齢者と住んだことがなく、ほどんど関わりを持った事がなかった。しかし、中学生になり、施設へ慰問したことがきっかけで、高齢者に対する福祉について考えてみようと思った。

 毎年五月に行われる「江刺甚句まつり」で、私は中学一年生の時から町内屋台の小太鼓を担当し、参加している。そして、そのお囃子部隊で、お祭りの前には必ず、近隣の福祉施設へ慰問し、入居者の皆さんの前で披露するのだ。

 施設へ行くと、入居者の皆さんが笑顔で出迎えてくれる。演奏時もほほえましい顔で見てくださるので、私も皆さんの期待に応えられるように一生懸命に太鼓を叩いた。

 演奏を終えると、たくさんの拍手をもらい、握手を求めてくる方もいらっしゃった。その時、「ありがとう。」や「とても良かったよ。」などと声をかけてくれる方が多く、うれしかった。また、中には涙ぐんでいる方もいて、「来て良かった。」と思った。

 慰問先は、母の職場でもあったため、普段見る事のできない仕事の様子を見ることができた。入居者の皆さんの様子をみながら、目線を合わせて声をかけていたり、声をかけながら車椅子を押す介助などをしていた。このようなことがきっかけで、「福祉」への関心を持つようになった。

 帰宅後、母と慰問の事など色々話をした。私が一番不思議だったのはどうして、こんなにも喜んでもらえたのかということだった。

 施設にいると、外との交流の機会が少なく、特に、子供達との交流は少ないそうだ。お年寄りの方々は、子供達を見ると、表情がかわり、生き生きするそうだ。それは、若い人からエネルギーをもらうからもあるが、自分たちの若い頃を思い出したり、自分の子供や孫のことを思い出したりするからと母から聞いた。

 また母から、開演一時間以上前から楽しみで待っている方もいるが、中には事前に話していても、すぐ忘れてしまうため、その都度声をかけることが必要な方もいると聞いた。残念な事に、楽しんで見ていても、すぐ忘れてしまう方もいると聞き、悲しい気持ちになった。これが「認知症」の特徴の一つだと教わった。

 では、認知症とは、どのような病気なのだろうか。認知症とは、色々な原因で脳の細胞が死んでしまったり、働きが悪くなったりしたために様々な障害が起こり、生活するうえで支障が出る病気だ。認知症の症状は、記憶障害を中心とした症状と、そこに本人の性格や環境の変化などが加わって起こる症状があるそうだ。

 私は、母からこのような認知症のお年寄りと接するときに大切なことを四つ教えてもらった。

 一つ目は、相手と目線を合わせて話をすることだ。上から見下ろして話かける事は、相手に失礼になってしまう。同じ目線にすると相手も話しやすくなるそうだ。

 二つ目は、耳が聞こえにくい方には、分かりやすく、ゆっくりと大きな声で話すことが必要だ。そうする事で、話が聞きとりやすくなり、会話しやすくなるのだそうだ。

 三つ目は、同じことを繰り返し話されても嫌がらずに対応することだ。否定すると不快な思いをするので、共感し、よく話を聞いてあげる事が大事だと教わった。

 四つ目は、何か介助する時に、「○○しますね。」などと先に声がけをしてから対応する事だ。もし自分が急に手を引っ張られたりしたら、怖いと思うのは当然だ。また、相手に不安を与えるような声がけをするのも良くないと思う。常に優しく声をかける事が大切だそうだ。

 私には、祖父母がいる。今は健康だが、不自由な生活をするときがくるかもしれない。そんなときに役に立つのが、ボランティア活動の経験や、母から聞いた様々な知識だ。このような経験によって、お年寄りのことをより身近に感じることができ、お年寄りへの偏見がなくなり、自然に手をさしのべることができるのではないかと思う。

 学校にはボランティアの募集がたくさん来ているが、参加しているのはごく一部の人達だ。これからの奥州市の福祉は、私たちの行動にかかっているという意識を持ち、積極的にボランティアに参加し、地域と関わって行きたいと思う。

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