奥州市社会福祉協議会

目や耳のご不自由な方へ

平成25年度奥州市福祉作文入賞作品集

-「福祉のまち奥州市」に向けてぼくたち・わたしたちにできること・できたらいいこと-全 25ページ

表紙

第8回奥州市社会福祉大会特別表彰作品集

《平成25年度奥州市福祉作文選考委員会》
委員長 小野寺 寛(水沢読書連絡会会長)
副委員長 佐藤 栄喜(水沢読書連絡会副会長)
《作品応募総数》
市内45校中21校より40作品
内訳 ・小学校33校中15校から17作品 ・中学校12校中6校から23作品
《編集・発行》
社会福祉法人奥州市社会福祉協議会

目次

あいさつできることから

社会福祉法人奥州市社会福祉協議会 会長 髙橋 光夫

小学校の部

最優秀賞私の大好きなお母さん

奥州市立若柳小学校6年 安倍 百香 1

優秀賞ぼくの体験から福祉を考える

奥州市立佐倉河小学校6年 内出 望 2

優秀賞家族の絆を通して

奥州市立前沢小学校6年 阿部 あみい 4

優良賞広げよう心のバリアフリー

奥州市立姉体小学校6年 増田 和佳奈 5

優良賞ぼくが考える福祉

奥州市立藤里小学校6年 新井 健太 6

優良賞小さなことから

奥州市立衣川小学校6年 髙橋 明花 8

中学校の部

最優秀賞高齢者に対してどうあるべきか

奥州市立江刺第一中学校2年 浪越 優子 9

優秀賞ボランティアを通して学んだこと

奥州市立水沢中学校2年 本明 瑞希 11

優秀賞今の私たちに出来ること

奥州市立東水沢中学校2年 出雲 朱音 13

優良賞小さなことから始める福祉

奥州市立水沢中学校2年 佐々木 渚 15

優良賞私の思い

奥州市立東水沢中学校2年 成田 愛響 17

優良賞私にしかできないこと

奥州市立水沢南中学校2年 進藤 彩乃 18

優良賞福祉って

奥州市立前沢中学校2年 吉田 愛 20

できることから

社会福祉法人奥州市社会福祉協議会 会長 髙橋 光夫

 今年で二回目となる奥州市福祉作文。

 市内の小学校六年生の児童から十七編、中学校二年生の生徒から二十三編、合せて四十編の作文が寄せられました。

 家庭でのできごと、学校での福祉活動や施設訪問、ボランテイア活動など実体験をとおした内容が多く、それだけに説得力のある作文であったと思います。

 全てを読み終えてみて、福祉という今日的な課題を自分のこととして捉え、ならばどうするのかという明確な答えをもちあわせる子ども達に出会えた感動を覚えました。

 このすばらしい子ども達の育みはどこにあるのか、作文の中から拾いあげてみました。

 第一は、家族の育みにあります。

 父の姿、母の一言、祖父母の存在とその中での育みをしっかりと受け止め、これからの自身の道標としています。

 そして、学校の育みにあります。

 小学生では、ブラインドウォークや車椅子によるキャップハンディ体験、ベルマークやアルミ缶収集から学んだ福祉活動の大切さ。中学生では、福祉施設での体験、雪かきボランティアでの感動など、これまでの生活では考えられなかった新鮮な体験がつづられ、他者を思いやることの重要性が述べられております。

 多くのことを語らずして子どもの気づきを引き出す家庭教育、学校現場での福祉教育そのものが作文に書きとめられています。

 かといって、子ども達に気負いはありません。次のことばが心に残ります。

 「おはようございます。手を貸しますか・・・その一声をかけることが福祉の第一歩。自分のやれる小さなことから、ちょっとしたことから始めよう。大人のようなことはできない・・・だから、できることから」

 作文の選考に当たられた水沢読書連絡会の小野寺寛会長、佐藤栄喜副会長のご両名、担当いただきました小学校・中学校の先生方のご指導とご協力に対し、心から敬意と感謝を申し上げます。

小学校の部

最優秀賞私の大好きなお母さん

若柳小学校6年 安倍 百香

 私のお母さんは、優しくて、おもしろくて頑張り屋です。

 私は、生まれつき『二分脊椎症』という病気です。小さい頃は、入退院を繰り返していました。今も三か月に一度、仙台市の病院に通っています。お母さんはその度に、私の家から仙台市の病院まで片道約百三十キロメートルも車の運転をして連れて行ってくれます。帰りもまた、百三十キロメートルを運転しなければなりません。運転するお母さんの真剣な横顔を見ると、いつも「ありがとう。」の気持ちでいっぱいになります。

 また、私は若柳小学校という小学校に通っています。小学校へも、毎日お母さんの車で通っています。私は、つえなしでは少ししか歩けないので、学校やどこかへ出かける時はほとんど車椅子です。だから、小さい子にじろじろ見られると恥ずかしいと思うこともありました。でも、そんな時いつもお母さんは「気にしなぁい、気にしなぁい。」と言ってくれます。お母さんは、いつも私を笑顔にしてくれます。私が落ち込んでいても、おもしろいことを言って元気にさせてくれます。私は、人から少しでも傷つくことを言われると、学校を休みたいと思ってしまい、今までも何度か休んだことがありました。でもお母さんは、心が強いので私みたいにすぐに心が折れたり、悩んだりすることはありません。でも、もしかしたら、お母さんはいろんな悩みがあっても顔や声には出さないで、私に笑顔を見せてくれているのかなと思うこともあります。

 そして、お母さんは時々怒ることがあります。怒ると怖いです。でも、原因は私にあります。例えば、やることをやっていなかったり、うそをついたりしたときに怒ります。自分でできることは、できるだけ自分でやるようにしているけれど、やっぱりどこかでいつもお母さんを頼りにしている自分がいます。だから、私のために叱ってくれているんだと思います。

 学校が休みの日、お母さんが仕事の時は、自分でごはんを作ったり、洗たく物をたたんだりします。手伝いをしてみると、お母さんの大変さがとてもよく分かります。今まではあまり気がつかなかったけれど、これからはできることをもっと増やして、もっと手伝いをしていきたいです。

 私は、この前テレビで、「親孝行とは、親に何かをしてあげるだけではなく、親よりも長生きして、自分の人生を楽しめば、それが親孝行になる。」と聞きました。私が、自分の好きなことを見つけ、それにやりがいを持って生きていくことが、親孝行になるのならば、今までよりいろいろなことに挑戦して、好きなことをふやしていきたいです。そして、お父さんやお母さんにたくさん親孝行をしたいです。

寸評

 自分の逆境をばねにして偉大なことを成し遂げた人々がいます。誰だって、自分の今の苦しい姿を素直に受け止めることに抵抗はあるでしょう。でも、その人々は、その苦しみを天佑、試練として受けて、他人との比較ではなくて、自身とのたたかいに転化できたからこそ、偉業が成し遂げられたのです。安倍さん!!挑戦する心を持ち続けて、あなたに授けられた力を開かせて下さい。現代の福祉社会は、きっとあなたを支えてくれますよ。

優秀賞ぼくの体験から福祉を考える

佐倉河小学校6年 内出 望

 ぼくにとっての福祉を考えると、少なくても二つあります。

 一つ目は、お年寄りの介護についてです。僕の母は、介護の仕事をしています。また、小学校生活六年間の生活の中で、一つ変わったことがありました。それは、一緒に暮らしている祖母が認知症になってしまったことです。祖母との生活の中での体験で、ぼくの心の中にも変化がありました。佐倉何小学校では、毎年、祖母が通っているデイサービスセンター「はいらん家」に四年生が行き、そこに通ってきているお年寄りたちと遊びます。ぼくも四年生の時、「はいらん家」ってどういうところなのかなと患っていましたが、「はいらん家」は、いつも笑顔を絶やさない所でした。ぼくもお年寄りたちのために何かをしたいと思い、皆が知っている『千の風になって』を歌いました。ぼくが歌い始めると、職員さんやお年寄りたちも歌い、なんともいえない一体感につつまれました。笑顔を絶やさず生活しているのは、お年寄りと職員さんたちがお互いに支え合っているからこそ笑顔がいつも生まれているのではないかと思いました。

 祖母は認知症でも何もできない人ではありません。歌を歌うと優しく歌ってくれます。それも心優しく、僕たちには発見できないことを発見したりします。家族や職員さんの手助けで、料理にチャレンジすることが増えていきます。祖母もだんだんと自分で作れる料理は限られてきていますが、母と一緒だとぼくにちらし寿司の作り方を教えてくれます。お互いに支え合っているのがわかり、このことがとっても大切なのだと思います。デイサービスでのボランティア活動や家での祖母との関りを通じて、共に何かをすることが、これから地域に必要なことなのだと思います。

 二つ目は、ベルマークや募金などを通じて人のために役立てる仕事についてです。ぼくは、学校で福祉委員の委員長をしています。自分に出来ることはないかと考え、学級でベルマーク集めや募金の呼びかけをいっしょけんめいしました。ベルマークの数は、うれしいことに日に日に増えていきました。募金には、自分たちの町、奥州市のためになる募金だけではなく、家もなく、食べ物も十分に食べられない世界の子供たちのための支援活動もあります。特に募金活動は、人のため、街のためになる有意義な活動になると強く感じています。

 ぼくは、お年寄りの介護と人の役に立つ仕事という二つの活動を経験して、小学生にもできることがたくさんあることがわかりました。身近なところでもできることがあります。見えていないだけかもしれません。これからも少しでも心豊かに生活できるように、福祉のまちづくりのために何ができるかを考えていきたいと思います。

寸評

 筆者は福祉について、二つに絞って述べています。一つは、お年寄りの介護です。もう一つは、ベルマーク集めや募金活動を通して人のために役立つ仕事です。この二つを、自分の身近なところから自分でできる福祉活動を発見して、実行に結び付けようと考えています。心豊かに生活できる福祉のまちづくりに貢献するにはどうあればよいかをこれからも求め続けて下さい。心の豊かさと温かさを共有できることが福祉の基本であることを心深く秘めつつ。

優秀賞家族の絆を通して

前沢小学校6年 阿部 あみい

 わたしのひいおばあちゃんは、昨年亡くなってしまいました。

 今から、そのひいおばあちゃんと家族の介護について書きたいと思います。介護の始まりは、ひいおばあちゃんが体調を崩して入院してからのことでした。一度は、元気になり退院することがありましたが、再び介護が必要な状態になってしまいました。介護が必要な状態になると、ひいおばあちゃん一人では、何もできないので、食事や風呂、トイレなどの全てのめんどうを見なければならないため、っきっきりで大変でした。おばあちゃんとわたし達家族は、ほとんど休むひまなく、何か用事があったりするとデイサービス、ショートステイに預けたりしなければいけませんでした。

 家族の中で、一番中心となって介護をしていたのは、おばあちゃんでした。おばあちゃんは、食事の世話やオムツ交換などをしていて、寝るときもひいおばあちゃんのとなりで寝るひまもなくめんどうをみていたので、おばあちゃんが、ストレスがたまったり病気になったりしないか、見ていてとても心配でした。おばあちゃんは、出勤時間を遅くしたり、介護を優先して仕事をやめたりと、とても忙しい日々が続き、わたしは介護をするということは大変なことなのだと実感しました。

 その時、わたしたち家族をサポートしてくれたのは介護施設の人たちでした。職員の人達は、ひいおばちゃんのお世話をするだけでなく、いっしょに折り紙やはり紙で楽しませたり、歌を歌ったりもしてくれていました。わたしが、老人ホームへ会いに行ったときに、お風呂にはいっていた人もいたし、寝たきりのお年寄りはオムツ交換をしてもらっていたり、テレビやラジオを聞いてくつろぐ人もいました。その他には、グループで集まり、折り紙や切り絵などの昔の遊びをしている人達もいました。そこで働いている人達を見て、たくさんのお年寄りに目を配りながら楽しませることもしていて、大変な仕事なんだなと思いました。わたしは、家でひいおばあちゃん一人だけでも面どうを見るのは大変な事だと思っていたのに、職員の人達はすごいなと思いました。

 わたしは、ひいおばあちゃんの介護をどう手助けしていいかわからなかったので、職員の方々の働く姿を見て、これからの自分の生活の中でバスや電車でお年寄りに席をゆずったり、積極的にボランティアに参加したりすることができると思いました。今は元気なわたしのおばあちゃんが、もし、急にたおれたりして介護が必要な状態になったら、わたしがお世話をしなければならないし、だれにもたよったりせず介護をするとストレスがたまります。そう考えると「いつ、何が起きるか分からない」という意識を高めようと、はっきりと自覚しました。そして、ひいおばあちゃんは、亡くなってしまったけれど、今までをふり返って、わたしは、あたたかく接する心と、人の役に立つすばらしさを学びました。

寸評

 お金や物品でなくともできる福祉活動について、筆者は、ひいおばあちゃんの介護を通して学びとりました。優しい笑顔も謙虚な話し方も心温かなもてなしも席の譲り合いも、みんな、自分をひっこめて、相手を大切に思う心からにじみ出ております。心温かく、人のためになりたいという願いが福祉の原点であろうと思います。生涯、その心を育んでいって下さい。

優良賞広げよう心のバリアフリー

姉体小学校6年 増田 和佳奈

 私たち六年生は、総合的な学習の時間に、障がい者の方の話を聞いたり、キャップハンディ体験をしたりしました。

 キャップハンディ体験では、まず、最初に車いすに乗る体験をしました。やってみてわかったことがあります。それは、段差をパックで降りたり、スロープを降りたりする時です。パックの時は後ろが見えないし、スロープは坂が急だったので転げおちそうでとても不安でした。車いすで生活している小原さんは、困っている人がいたら優しく声をかけてほしいとおしゃっていました。

 このとき私は、五年生の時のことを思い出しました。私もけがをして車いすで生活していた時期があるのです。

 昼休みに一人で校舎内を車いすで探検していた時のことです。ろう下にある段差をこえようとしたら、思ったより高くてこえられませんでした。スピードをだせばこえられると思い、助走をつけてやってみたけれど無理でした。しかも転びそうになったので危なかったです。どうしようかと思って困っていたとき、通りかかった先生に助けていただきました。とてもほっとしたのを覚えています。

 他にも、通路にちょっとしたくぼみがあり、タイヤがはまって動けなくなってしまったことがありました。そばにいた友達数人が気づき、おしてくれたので助かりました。親切にしてくれて本当にうれしかったです。

 キャップハンディ体験では、目をかくして歩く体験もしました。この体験もとてもこわかったです。特にこわかった場所は階段です。つまづいて三回くらい転びました。階段がどこで終わるのかわからなかったし、前に何かあるんじゃないかと不安に思いました。

 また、目の見えない人をゆう導するのも難しかったです。どんな風に教えればいいのか分からなくて困りました。介助する人も大変なんだなと思いました。

 視覚障がい者の樋渡さんから、目が不自由な人が困っていたら、びっくりしないようにかたをたたいて優しく声をかけるといいと教えていただきました。

 五年生の時、車いすを使っていて困ったことがあっても、みんなに気を使って自分からはなかなか頼みづらかったです。そんな時、だれかが気づいて親切にしてくれるとてもうれしかったです。私も体の不自由な人が困っていたら、優しく声をかけて役にたてるようにしたいです。

 今は、身近な所にもバリアフリーのものが増え、障がい者の方にとって住みやすい環境が整ってきているようです。しかし、それだけでは障がい者の方は本当に満足した生活を送ることはできないと思います。障がい者の方と健康な人との心が通い合い、お互いに明るく楽しい生活を送れるようになることが大切だと思います。そのためには、みんなが親切な心をもち、助け合わなければなりません。私もそんな心のバリアフリーをこれからももち続け、誰にでも優しく接していきたいです。

優良賞ぼくが考える福祉

藤里小学校6年 新井 健太

 ぼくが考える福祉は、三つあります。

 一つ目は、「教育」です。小学校では、福祉についてあまり習っていないような気がします。ぼくは、学校で学習したので、点字に興味を持つことができました。それと同じように、学校に車いすなどを完備し、まずは目が不自由、足が不自由な人の生活を実際に体験したり、気持ちを想像したりします。そしてそういう人たちが、どうしたら楽に生活できるのか、どのように保しょうするのかなどについて話し合い、それをもとに交流するという時間が、三か月に二回くらいあるといいと思います。そうすれば、お年寄りが増えている今、小中学生と交流することで、お年寄りも元気が出て、小中学生の学習も深まり、まさに一石二鳥です。その学習がきっかけで、福祉に興味をもつ若者も増えて、さらに専門学校も増やせば、今まで以上に介護士などが増え、人員不足が解決できると思います。

 二つ目は、「優しすぎず優しい介護所を作る」です。介護の施設は、バリアフリーでとてもお年寄りに優しい所です。しかし、重度でない限り、リハビリをしなければなりません。例えば、ずっと家に引きこもって運動もしなくて足の筋力がおとろえている人。こんな人が来たらどうでしょう。行き帰りは、送りむかえ付き、中に入れば段差もないとなると、足の筋肉はますます使わなくなるでしょう。それでは、ぼくはだめだと思います。そんなめぐまれた場所でリハビリをやりなさいと言われでもやりたくないと思うのはぼくも同じです。だって、動くのが楽な所なんですから。そこで、運動不足を解決するための提案が二つあります。一つは、屋外で活動してもらうことです。元気な人は、もっと外に出て、花植えや散歩の楽しさを知ってもらい、家に帰ってもやってもらいます。すると、近くに友達もでき、外に出るのがもっと楽しくなることでしょう。これで運動不足の心配が減ります。もう一つは、それでも外にでるのがいやな人のために、屋内にあまり高くなく、急でない階段を作り、そこを上がるとマッサージのサービスやおかしなどがもらえるという工夫です。これもすこしは役に立つと思います。

 そして三つ目は、市をあげて取り組む「福祉のまち奥州」です。ぼくが気になったことに、こわれた点字ブロック、コンクリートがえぐられているスロープ、車いすが通るには困難そうな非常口などがあります。これらは大変危険なので、市の責任で直してほしいと思います。ほかには、音の出る信号機を増やすなど、少しでもお年寄りや体の不自由な人に優しい市をめざしてほしいです。もちろん市だけにまかせません。ぼくたちにもできること、例えばポスターでうったえる、困っている人に手を差し伸べるなどを市民一人ひとりが行って、「福祉のまち奥州」として、これからの日本のお手本になれたらいいなと思います。

優良賞小さなことから

衣川小学校6年 髙橋 明花

 私は、去年母と姉といっしょに、東日本大震災の被災地に行きました。テレビでがれきがいっぱいある様子を見たので、実際に被害の様子を見たいと思ったからです。気仙沼や陸前高田市の様子を車で見て回りました。家も店も何もなく、かわりにテレビで見た通り、がれきが山積みになっていました。その時、被害がひどすぎて、私にできることは何もないと思いました。でも、家に帰ってから考えた時、学校でやっている「ちょボラ」なら、私にもできるのではないかと思いました。

 衣川小学校では、ちょっとしたボランティア「ちょボラ」を行っています。いろいろな募金活動や草取り、お年寄りや小さい子との交流など、みんなのためにできることを進んでやろうという活動です。

 まず私は、募金をしようと思いました。毎年ユニセフ募金や赤い羽根募金をしているので、自分のおこづかいから少しだけ募金をしました。少しだけど被災地のみなさんの助けになればという思いで募金をしました。それから、被災した小学校との交流で、メッセージを書く機会がありました。私は、少しでも勇気づけることができればと思いながら、元気が出る言葉や絵を書きました。返事が来た時には、「ありがとう」の言葉に、私の思いが伝わったような気持ちがして、うれしかったです。また、学校の様子が分かり、少しずつ元気になっているようでよかったなあと思いました。

 また、私たちは五年生のとき、地域の田んぼの先生に教えていただきながら、学習田でお米を作りました。採れたお米に「ひとめぼれ元気米」と名前をつけて、交流している小学校に送りました。そのお米で、全校のみんながおにぎりを作って食べたそうです。

 二度目に被災地に行ったときには、がれきは片づいていました。でも、まだ行方不明の人がたくさんいます。自分の家族が見つかっていない人のことを思うととても悲しくなります。また、仮設住宅で暮らす人たちは、自分のうちではないので、リラックスできないと思いました。私は、家族全員が無事だし、家も被害にあっていないので、とても幸せだと思います。被災地が以前の町にもどったら、たくさんの笑顔であふれると思います。絶対、絶対もどると思います。改めて、私もその力になりたいという思いを強く持ちました。

 募金など積極的にしている人もいるけれど、だれかがやってくれるだろうと思ってやらない人もいます。一人ひとりが自分から進んでやれば、被災地のみなさんにがんばってほしいと思う気持ちが届くと思います。

 私も一回やればいいやなんて思っていたけれど、小さいことからコツコツとやっていき、いつか人を支える人になりたいと思います。また、学級のみんなにも、全校のみんなにも声をかけて、応援の輪を広げていきたいと思います。

中学校の部

最優秀賞高齢者に対してどうあるべきか

江刺第一中学校2年 浪越 優子

 『福祉』は、高齢者や障がい者を『大切』にする事。でも私は、この『大切』という意味を、もっと深く考えるべきだと思う。『高齢者』、そう聞くと誰もが「大事にしなさい」、「親切にしなさい」と言うけれど、それが私にはお年寄りは体が老化し大変だから、つまり『弱い存在』だから大事にしてあげなさい、という意味にしか聞こえない。しかし私は高齢者、あるいは障がい者の方々を、誰よりも『強い存在』だと心得ている。

 私の家には九十二歳の祖母がいる。祖母は毎日、畑仕事や家事をこなし、週に一度コーラスにも行っている元気なスーパーばあちゃんだ。そのために、周りからよく、

「先生が目標だからね。」

と言われている。九十二歳にもなって、杖もつかずにきちんと歩いている姿は周りに希望を与えているのだろう。なぜ『先生』と呼ばれているかというと、昔小学校の先生をやっていたからだ。コーラスの中には、昔の教え子もいるという。同年代の人達は、すでに亡くなってしまい、少しさみしそうだが、祖母がいる事によって、みんな祖母のように頑張ろうと思っているに違いない。

 祖母は、凡帳面だが少しせっかちで気が強い、負けず嫌いだ。長生きの理由の一つでもあるかもしれない。そして、祖母はすごく優しい。私が毎朝「行ってきます。」というと、必ず笑顔で

「行ってらっしゃい。」と手を振ってくれる。私はそれを見て、今日も一日頑張ろうと思うことができるのだ。

 そして「ただいま。」・・・・・・これが日課だ。

 祖母は、ある日こんなことを口にした。

「ただいま、って言ってくれる事が私にとって一番嬉しいことなんだよ。」と。

 私は最初、そんな事は当たり前だし、なぜそれが一番嬉しい事なのか、よく分からなかった。

 先日、私は祖母と戦争の話を見た。

 それは戦地に行ってしまうと分かっている夫と結婚した女性の話だった。夫は帰らぬ人となってしまい、夢の新婚生活はたったの七十七日間だった。

 しかし、その女性は再婚せず夫が言い残した『女性だって人のために進んで働きに出るべきだ。』という言葉を思い出し、あきらめかけていた医者に、猛勉強をしてついになったのだった。九十六歳で小児科の医者を続けているという話だった。

 私は感動した。夫を早くに亡くし、戦争をたくさん憎んだ事だろう。それでも、それを乗り越えて夫の言葉通り、人のためにつくした。夫を本当に愛していたからこそできた事だと思う。私なら一生立ち直る事ができないだろう。

 そんな事を考えていて、ふと祖母を見るとポロツと涙がこぼれていた。私はこの一瞬間、胸がドキッとなった。なぜなら、この女性と祖母が重なったからだ。年も同じ位だ。祖母も戦争で父親を亡くしている。もしかしたら、祖母もそんな状況におかれていたのかもしれない、そう思ったのだ。

 私は祖母に尋ねてみた。すると、祖母は父親を戦地に送り出した時の事を話してくれた。電車のホームで、訳も分からず無言で手を振った。まさかこれが最後の時だったとは考えてもいなかったという。

「またすぐに帰ってくるよ。」

 その言葉を信じ続けたが、その言葉は現実にはならなかった。父親の「ただいま」という声を聞くことができなかった、こう話してくれた。

 ここで、祖母が話していた「ただいま、って言ってくれる事がいちばん嬉しい。」という意味がようやく分かった気がする。祖母は戦争を憎み、父親ときちんとお別れできなかった事を悔やんでいる。それでも、そんな大きな苦しみがあっても、今の人生を楽しんでいる。笑顔で私たちに、

「行ってらっしゃい。」

と言っている。私は、その心の強さに圧倒された。目の前にいるお年寄りという存在に、すごいパワーを感じたのだった。

 私はこの出来事を通して今までよりも、祖母や毎朝横断歩道に立ってくれている見守り隊の方々に、感謝の気持ちを伝えるために、笑顔で挨拶をするように心がけている。

 『福祉』それは、ただ親切にするという事ではなく、他人を思いやり、心から『力になりたい』と思うこと。それが、真の福祉ではないだろうか。年をとるという事は、それだけ私たちより色々な経験があるという事、障がいがあるとは、それだけ私たちより辛い事を乗り越えてきたという事だ。

 だから、このお年寄りや障がい者という人達を私は『尊敬』し、『噂重』すべき存在だと強く思う。

 まずは身近なお年寄りの人に、笑顔で

「行ってきます。」

の挨拶から始めてみよう。

寸評

高齢者や障がい者を「弱い存在」としてではなく、「強い存在」、「尊敬し尊重すべき存在」と捉えたところはすばらしい。

 同居する九十二歳の祖母の具体的事実をもって裏付け、説得力ある文章になっています。

 「福祉」について深く考え、新たな視点を提起し、認識の変革を迫っています。福祉や青少年の未来に明るい光が見えてくるようです。

優秀賞ボランティアを通して学んだこと

水沢中学校2年 本明 瑞希

 私は今まで福祉についてよく考えたことがありません。学校でおこなわれている「ペットボトルキャップ・牛乳パック収集」など、持ってきて渡してそれで終わり、というような感じでした。ましてや私たちが持ってきた牛乳パックやキャップがどのように使われるのか、また何のために集められているかなど考えたこともありませんでした。だから福祉といっても何が福祉なのか、私たちが取り組んでいることがどのような意味を持つのか、いまいち理解できませんでした。持ってきた物がこのように役立つから…… の、『このように』の部分が分からなかったからです。

 私は中学一年生の時、福祉委員会で呼びかけていた「雪かきボランティア」に参加しました。冬休みは部活も少ないので「やってみょうかな。」という軽い気持ちで参加しました。説明を聞いても初めてだということもあり、ピンときませんでした。そのまま冬休みに入り、雪かきボランティアが始まりました。

 初日はあいさつに行きました。私たちは一人暮らしのおばあさんのところに行きました。寒い中、玄関先まで出てきてくださり、

「寒い中ありがとうね。」

と言ってくださいました。とても嬉しかったです。

 それから雪が降り積もった時は、友達と誘い合って行くようにしました。寒い中、私たち三人で玄関先に積もった雪をかいていくのはとても疲れました。それに寒いし、雪がとても重いので腰なども痛くなりました。でも最後にあいさつをしに行くと、おばあさんが必ず、

「ありがとうね。」

と言ってくださったので、私たちも「また頑張るぞ。」という気になりました。

 朝起きて窓の外を見ると、すごく寒くて、雪、が降っていると、「ああ、今日は外に出たら絶対寒い。行きたくないなあ。」と思うこともありました。でも、雪かきを体験したことによって、雪かきがとても大変な作業かということが分かっていたので、「おばあさん一人で雪かきは大変だ。」と思い、おばあさんの家に向かいました。私だけでなくみんなも同じだったようで雪が積もると、用事がないかぎり三人集まって家に向かいました。

 最終日は雪が積もらなかったのであいさつだけしに行きました。私が

「今までありがとうございました。」

と言うと、

「いやいや、お世話になったのは私だよ。あっ、ちょっと待っていてね。」

と言い、奥に入って行かれました。すると、

「はい、お駄賃。今までありがとうね。」

と言い、みかんとジュースをくださいました。雪をかきに行くたびに「ありがとう。」と言われ、役に立てたことが本当に嬉しかったです。

 雪かきボランティアに参加したことで私は「人の役に立つって良い事だなあ。嬉しい事なのだなあ。」ということに気づかされました。

 それからは、エコキャップ収集・牛乳パック収集の捉え方も変わりました。私たちが持ってきたエコキャップや牛乳パツクが、『誰かの役に立っている。誰かの笑顔につながっている。』そう思えるようになりました。「役に立っている。誰かを笑顔にするのだ。だから集めるんだ……。」そう思うと取り組み方も変わります。キャップがワクチンに変わるというように私たちの取り組み一つひとつには意味があり、必ず何かの役に立っているのです。

 福祉とは『自分ができることをする』ことから始まると思います。一人ひとりができることから取り組み、その輪が一人、また一人と広がれば、大きな善意の輪になると思います。

 私はこの奥州市がそのような福祉の輪でつながれた町になればいいなと思っていいます。そのための一歩として、今年も雪かきボランティアに参加しようと思っています。

寸評

 学校で行われているペットボトルキャップや牛乳パック収集に漫然と参加していたが、雪かきボランティアを経験することによって、取り組むことの意味を考えるようになったことは、素晴らしい成長・前進です。

 おばあさんから「ありがとうね」と感謝され、雪かきは大変だが「頑張るぞ」という気持ちになる。

 宮沢賢治作品を貫くテーマである「人の役に立つ」ことが福祉の原点であり、生きることの意味でもあります。

優秀賞今の私たちに出来ること

東水沢中学校2年 出雲 朱音

 職場体験学習で老人ホーム「いこいの森」で学んだことがたくさんあります。その中でも特に心に残っていることが四つあります。そのことを中心に私たちに出来ること、出来たらいいことについて考えたいと思います。

 一つ目は、お年寄りの方との接し方です。初めは、どうしていいか分らず戸惑いましたが、お年寄りの方々から話しかけてもらえてうれしかったです。話している時は、お互いが笑顔になれました。三日間行って、二日目、三日目は覚えていてくれてあいさつや話しかけてくれるので、コミュニケーションは大切だと感じました。

 二つ目は、介護です。介護にもいろいろあって、全部手伝う人、少しだけ手伝う人、全然手伝いがなくてもいい人がいました。その他の介護は、車イスに乗るのをサポートする。器具をつけるのをサポートする。お風呂に入るときにサポートするなどたくさんありました。

 特に心に残っている介護は器具をつけるのをサポートすることです。実際にやらせてもらって、見ているだけでも大変そうなのに、やって見ると足につける器具だったのですが、器具に足を入れるのが大変でした。足も重いのでどうやったら一番いいのか考えながらやりました。

 あとは、リハビリも見せてもらって、足の不自由な方だったのですが、一所懸命にやっているのを見ると応援したくなりました。もしも、私がどこか不自由でリハビリをしたら、頑張れば出来るかもしれないけどそれでも大変だなと感じました。

 お風呂の時は、種類がだいたい四つあって、一つ目が普通に使っている一人用のお風呂と、二つ目が温泉みたいな所と、三つ目も温泉みたいなのですが機械を使っている感じのものと、四つ目が寝たままお風呂に入ることができる、全部介護付きのお風呂でした。座るイスも、落ちないように工夫がされであっていいと感じました。

 三つ目が食事です。食事の前に口の運動をしました。口の運動とは飲み込みやすくするための運動です。食事量も一人ひとりに合わせておかゆにしたり、グラムを変えたりしていました。

 特にびっくりしたのは、同じ料理なのに形が違うものがあったことです。例えば、魚だったら食べやすいように、ペースト状にし、また魚の形にしたり、工夫がされていると思いました。

 少しもらって試食したら、野菜を加工したもので、味はちょっと不思議でこんにゃくみたいでしたが、飲み込みやすくてこれなら安心だと思いました。デザートの果物が食べられない人は、ヨーグルトなどにするなどと工夫されていました。

 四つ目は、レク&コミュニケーションです。レクで輪投げを行っているとき、応援ということで鈴を鳴らしたり、ミニ太鼓を叩いたりしました。どの方々も上手でした。

 ボウリングでは、球を転がすのですが、パワフルでいいと感じました。コミュニケーションを各ユニットの方々ととりました。ユニットとは、長期の方とショートの方に分かれて暮らす部屋みたいなものです。どのユニットの方々も優しく接してくれたのでうれしかったです。中には元先生の方もいてたくさん学びました。

 その他にもいろいろな方から、人生の先輩としてのたくさんの話をしてくれました。案内や説明をしてくれた担当の方々もとても優しくて、質問も出来たのでよかったです。

 この職場体験学習を通じて、改めて介護の仕事の大変さなどを知りましたが、とてもやりがいのある仕事だと感じました。

 車椅子体験をしてみたら、乗っているときは移動しやすくていいと思っていたのですが、結構スピードがあり怖いと感じました。前におばあちゃんを車イスに乗せてデパートの中を歩いたのです。その時は何も考えないで、スピードを出していたのですが、今考えると怖かったかな?と感じました。だから、これからは相手の気持ちを考えたいです。

 今の私たちに出来ることは、もしかしたらほんの一部なのかもしれません。しかし、小さなことも相手にとっては、大きな支えや思いが届く行動になるかもしれません。だから、私は周りに困っている人、かいたら助けたり、考えたりしたいと思います。

 また、お年寄りの方は、人生の先輩として私たちが知らない知恵や経験を教えてくれる大切な存在だと感じています。お年寄りの方に支えが必要な場面でさりげなくサポートすることなど、中学生の私たちでも出来ることだと思うので、さりげなくサポートしていきたいです。

寸評

 職場体験学習で学んだことを整理し、順序立て、具体的に記述しています。

 車イス体験から、乗る側の立場、相手の気持ちに立つことの大切さを感じとっています。

 入所者を人生の先輩として受けとめ、たくさんのことを学びつつ、自分に出来ることをさりげなくしていこうという決意は尊いものです。

優良賞小さなことから始める福祉

水沢中学校2年 佐々木 渚

 私にとっての福祉。それはすべての人が笑顔で暮らせることだと思う。

 私の祖母の家の隣には、知的な障がいをもっている人が住んでいる。

 その人はいつも道の端に立っていて、辺りを眺めていたのだが、私は小学校四年生くらいまで、その人のことを怖がっていた。何をしているのかが分からなくて、疑心暗鬼になり、不安を抱いていたのだ。そのため、いつも通学路の側に立っていたのにあいさつをしたことは一度もなかった。

 しかし、五年生のときに『あいさつをしよう』という取り組みが学校内で活発になり、ある日その人に、勇気を出して

「こんにちは。」

とあいさつをしてみた。最初は無視されるかなと思ったが、

「こんにちは。」

と笑顔であいさつを返してくれたのだ。

 そのとき私は、なぜかすがすがしい気持ちになり、今まで自分がしていた勘違いに気が付いて少し恥ずかしくなった。

 社会には、私と同じように『障がいをもっている人は怖い。』

などといった勘ちがいや誤解を抱いている人は少なくないと思う。けれど、全ての人が笑顔で暮らすためには、地域の人や家族、まわりの人の助け合いや共通理解が大切なんだ、と考えさせられた出来事だった。

 また、先日私はテレビで、足の不自由な女性が屋久島の縄文杉を目指すという番組を見た。十キロもある道のりを朝早くから歩き始め、全体重を片足だけで受け止めるのは、とても大変で辛かったと思う。そんな中、たくさんの人々が彼女を応援していた。休憩ポイントにくると自然に拍手がおこり、『がんばって』と声をかける人もいた。私もテレビの中の彼女に励ましの言葉をかけたくなるほど、彼女は真剣だった。

 私はこれも、助け合いや思いやりの一端ではないかと考える。自分ではない『誰か』のために、無償で活動し、応援する。そのこと自体が全ての人に生きる希望や思いやりの心を生むことに繋がるのではないだろうか。また、その思いやりの心をたくさんの人に伝え、広げていくことも大切な福祉活動の一つだと思う。

 私は、今年の夏『寺子屋』に参加した。初めての寺子屋リーダーで、たくさんの失敗や反省があったが、一つだけ『できた』と言えるものがあった。それは『あいさつ』だ。小学校の時に経験したことを活かして、寺子や神主さんにあいさつを欠かさずおこなうことができた。中には、あいさつを返してくれる子や寺子屋リーダーになりたい、と話してくれる子もいて、とてもうれしかった。

 私は、こんな小さなことでも、思いやりの心は伝わると考える。誰かが『あの人もやったから私もやってみょうかな』と思ってくれるだけでもいい。少しでも『誰か』の背中を押すことができたら、それも立派な福祉活動だと思うからだ。

 全ての人が笑顔で暮らせる。それは、みんなが助け合い、繋がりを創るところから始まる。そんな明るい未来のために、誰もが簡単に取り組むことのできる『あいさつ』という名の福祉活動を、私はこれからも続けていきたい。

優良賞私の思い

水沢中学校2年 成田 愛響

 私の両親は看護師です。二交代勤務をしていて、顔を合わせない日もあります。小さい時は寂しくて仕事を辞めてほしいと思ったこともありましたが、両親の頑張っている姿を見て、いつしか私も看護師になりたいと思うようになりました。

 その一歩として中学校の総合学習で七月二日・三日に県立胆沢病院で体験学習をしてきました。その中で看護師という仕事の大変さ、難しさ、嬉しさを間近で感じ体験しました。看護師さんの一人一人の患者さんへの心遣い、聞いている方も思わず笑顔がこぼれる患者さんとの会話、一つ一つの仕事の中に心が温まるような思いやりがあることを私は実感しました。

 私は患者さんの『足を洗う』体験をさせていただきました。『足を洗う』といっても、お湯の温度を調整し、患者さんの衣服が濡れないようにし、なにより患者さんが気持ちいいと思ってもらえるように心を込めて洗うことが大切です。私は人の足を洗うことは初めての体験だったので、うまく洗ってあげられたか不安でしたが終わった後に患者さんから

「とっても気持ちよかった。ありがとう。」

と笑顔で言われ、とても嬉しかったです。

 また、患者さんの立場にたった体験もさせていただきました。車椅子やストレッチャー、体圧分散マットに横になる体験です。健康な体でも不安な気持ちになるのに、ケガや病気の患者さんは、これから自分はどうなるのだろうと、もっと不安な気持ちになると思います。

 私の思い描いていた看護師の仕事は、患者さんとコミュニケーションをしたり、注射や医師の手伝いをすることが主な仕事なのだと思っていました。実際に様々な体験をしてみて、コミュニケーション一つとっても、患者さんの個性や病状に合わせた会話方法があること、注射や点滴も、患者さんによって内容が違い、その内容もどんな病気に効果があって、どんな作用をし、どんな副作用があるか理解していなければならないこと、たくさんの医療機器を操作するのにも技術と知識が必要なこと、患者さん一人ひとりの病状や経過、性格、家庭環境などを知っておかなければならないこと、そして一番大事なことは人の命を預かる難しい仕事であることを知りました。

 胆沢病院の看護師の方に、この職業に就いてから嬉しかったこと、つらかったことをインタビューさせていただきました。皆さん嬉しかったことは患者さんに笑顔で『ありがとう。』と言われたこと。つらかったことは、『なかなか患者さんがよくならない時、亡くなられた時』という答えでした。以前母が仕事から帰ってくると、

「ねえ、卵が先だと思う?にわとりが先?」

「こんにゃくの裏はどっち?表はどっち?」

と質問してきたことがあり、なぜそんなことを聞くのかとたずねると、

「患者さんがね、聞いてくるんだよ。お母さんが答えられないととっても嬉しそうなの。話相手になってくれて嬉しいんだって。いつもありがとうって言ってくれるんだ。」

と話してくれました。それからしばらくして仕事から帰ってきた母が、

「なぞなぞのおじいちゃん亡くなったんだ。身寄りがなくてね、一人暮らしだったんだよ。」

と泣いていました。その時、私は他人のことなのにあまり理解できませんでしたが、患者さんの心に寄り添い、一所懸命お世話することで生まれる気持ちなんだと、今なら分かるような気がします。

 現在、少子高齢化が問題になっています。患者さんの中にも子どもが遠くにいて、なかなか会いに来られない人、身寄りがない人などいろいろな事情を抱えた高齢者がたくさんいます。また、東日本大震災の時は、胆沢病院で沿岸の患者さんを受け入れ、看護したと聞きました。災害にあった患者さんは、ケガや病気の他にも心のケアも重要になってきます。

 私は、病気の看護だけではなく、患者さんの心に寄り添い、ともに笑い、悲しみ、考え、乗りこえていけるような看護師になりたいです。そして地域全体で支え合い、笑顔で暮らしていける社会に貢献していきたいです。

 出会った方との思い出や思いを胸に、そして『看護師』という夢にむかつてこれから、少しでも今の私にできることを探し、何事にも積極的に頑張っていきたいと思います。

優良賞私にしかできないこと

水沢南中学校2年 進藤 彩乃

 現在中学二年になった私は、小学の頃に比べて、知識も増え、現代の日本・世界における状況、自分の立場などを考えることができるようになりました。また、あまり考えたこともなかった「福祉」についても、最近では、良く考えていると思います。

 今まで私は「福祉」といえば、多くの人と同じようにテレピやニュースを、王な情報源としてきました。しかし、今は日常の身近な所から「福祉」を考えるようになったのです。

 私たちのように、都市部から遠く離れた場所で暮らしていると、よくお年寄りの方に会います。私の家から少し離れたところには老人ホームがあります。そこでは、たくさんの老人が介護を受けながら暮らしています。私は、よくその老人ホームの前を登下校中に通ります。朝は、かなり早い時間帯に起きて車イスでお散歩している方もよく見かけます。私は、近くにいた時や、声の届きそうな範囲では、いつもあいさつしています。あいさっすると、くしゃっと笑って返してくれます。私は、このような日常に幸せさえ感じます。そして私は、少しでも多くの方に、私と同じように笑顔で幸せになってもらいたいと思い、声をかけています。たったひとことだけの会話ですが、それだけで、笑顔になってもらえるのが、とても嬉しいのです。

 何故、私がこのようにお年寄りに積極的に関るのか、理由があります。今から二年前の冬、小学校卒業を間近としていた頃、私は母方の祖父を亡くしました。当時、人の死を身近に感じたことがあまりなかった私にとって、祖父という大きな存在を亡くしたことは、心にとても大きな傷をつけました。祖父は、私の笑顔が好きだと言ってくれました。元気な声を聞くだけで、笑顔に、幸せになれるのだと教えてくれました。

 そして、私は祖父の死をきっかけに、もっとお年寄りを大切に笑顔にしたいと強く思うようになりました。祖父が教えてくれた幸せを、もっと多くのお年寄りにしてあげたい。それが、今は亡き祖父へのプレゼントにもなるのだと思います。私は、どんなに辛く、孤独なお年寄りにも、孫のように接し、光を注ぎたいと心から思っています。

 私はまだ、十三歳。二十歳にもなっていないから、今すぐ「福祉のまち奥州市」を築き上げることは、到底不可能ですが、まずは身近なお年寄りを笑顔にしていくことで「福祉のまち奥州市」を創っていくお手伝いをしていきたいです。そして、いずれは自分たちの世代で、福祉に万全をつくし、お年寄りにも不便がなく、誰もが笑って暮らしていけるような街づくりをしたいです。そして、ここ奥州市から始まり、岩手、東北と広げ、本当にお年寄りに優しい「福祉の国」、日本という旗を掲げることができるような国づくりを夢見ています。

優良賞福祉って

前沢中学校2年 吉田 愛

 『福祉』ってなんだろう。

 あなたはこう聞かれたらなんと考えますか。私が『福祉』と聞いて最初に思いつくのは、母の仕事でもある『介護』という心身に障害のある方のお手伝いをする仕事です。

 七月二十九日、三十日に職場体験があり、『特別養護老人ホームまえさわ苑折居館』に行かせていただきました。

 そこは、認知症の方、障害があり介護を必要とする方々が生活する施設でした。

 私は、『看護』の仕事を体験させていただきました。そこの施設の『看護』の仕事は、そこで生活されている方々の体調を管理したり、ケガなどの処置をしたりすることです。

 一日目、初めに利用者の方の体調を知るため、血液中の酸素、体温、血圧を測定しました。その時、看護師の方は、人一人に声をかけながら測定していました。利用者の方はとても嬉しそうに、

「うんうん。」

とうなずいたり、

「おはよう。」

とにこにこして返してくれる方もいました。この光景を見て私は、コミュニケーションをとることも信頼関係を築くうえでとても大切だと思いました。

 二日目、利用者の方とふれ合いをしました。

 利用者の方々はとても優しく接してくれました。何より、

「ありがとうね。」

の言葉をもらった時は、自分の心があたたかくなりました。人に喜んでもらえるのは、やっぱり嬉しかったです。

 最初は、どう接していいかとまどうことがあったりしたけど、だんだんとふれ合えるようにもなりました。それは、利用者の方や職員の方が、声をかけてくださったりしていただいていたおかげだと思いました。

 帰り際には、

「応援してるからがんばってね。」

「体に気をつけて、元気でね。」

などと声をかけていただいて、ここの施設で職場体験をして本当によかったと思いました。

 帰ってから、母にその事を話すと、

「疲れるでしょ。お母さんは、毎日そういう仕事をしているんだよ。」

と言っていました。確かに疲れるけど、母がこの仕事を続けるのは、私は体験してきた感謝の言葉をもらったり、お話をするのが楽しくやりがいに感じられるからだろうと思いました。

 二日間職場体験にいってすごいなと思ったのは、看護師や介護士の元気な姿です。どんな時でも、笑顔でハキハキしていることです。大変なことや、イライラすることもあるはずです。なのにプロ意識があるんだなと思いました。

 今回の体験で、人と人は支え合って、繋がり合っていることを学び『介護』という種類の『福祉』の理解を深めることができたし、興味を持つことができました。

 自分から、人のためになることをする。

 それも一つの『福祉』だと思います。例えば、ゴミを拾ったり、席をゆずったりするものいいと思います。自分の身の回りからできることをすれば「思いやり」や「助け合い」の心を育てることができると思います。

 私は、困っている人を助けられる人になりたいと思います。困っている人を見たら、声をかけてあげたり、話を聞いてあげたりして、その人が笑顔で元気でいられるように考えて行動したいと思います。

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